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希望依存

私が長い間感じていたこと、それは希望の限界です。

ポジティブエネルギーに魅了される人はたくさんいると思います。

でも私にとって、それは現実逃避であるように思えました。

満たされていない自分を埋めるための手段のように感じられ、不自然でした。

それでも、実際には、私が希望に頼りすぎていたからこそ限界を迎えたんだと思います。

限界に達すると希望を持ち続けることがむしろ負担となり、希望というアイディア自体に対して距離をおきたいという思いが強くなりました。

私にとって、希望を持ち続けることは、自分の問題から目を逸らすことだと気づいたんです。

希望に依存しないことは絶望を明らかにすることでした。

絶望を迎えることが私にとっては解放のように思えました。

希望を捨てたときに感じる開放感は悪くないなと感じました。

さらに、絶望と恐怖心は別物であることを知りました。

絶望は未来への期待を断ち切ったときに訪れるようです。

絶望は私にそれ以上の無駄な行動をやめさせ、ただある現実を受け入れざるを得ない状態にしました。

そうして、初めて、ただある状態を認識できました。

それは喜びでした。

余計な考えも、プレッシャーもない、最初の自由を感じたからです。

恐怖心や怒りについても、そのとき、それが真実だったら、それを体験することが心地よいのです。

絶望が私の真実だったとき、その状態を変えようとしないことは、ある種の快適さがあると気づきました。

不完全でありながら、無理に整えようとしないことが、真実を感じさせてくれるんです。

そして、それは、まさに解放感を味わうことです。









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