「決める」勇気をもらった『自分思考』(山口絵理子・著)
やりたいのにできない、そんなことってないですか?
特に子どもが産まれ、母親になり、自分で自由に子どもとの時間をデザインできるはずなのに
「ママ〜」と呼ばれ振り返り、
「行かないで〜」という家族の声に引っ張られ、
気付くとあっと言う間になんと、10年過ぎてしまいました!?!?!?
その上、私はそもそも決めるのがとても苦手です。正直大きなコンプレックスを感じています。なんとかしたい!と、色々と試しているのですが、
未だに抜け出せないもどかしさがあります。
それが、今回手にとったマザーハウス代表山口絵理子さんの『自分思考』という著書で今までになかった気づきに出会いました。
もしかして、私、決められるようになれるかも!?と感じた希望、
忘れたくないのでここに書き留めて置こうと思います。
1.相反する2つの文化の中での葛藤
私が決められない理由のTop3は、自分がやりたいことを優先することで、
- 身近な誰かに嫌な思いをさせたくない、
- 迷惑かけたくない、
- もっと他にやるべき大事なことがあるんじゃないか
という思いが邪魔していると思っています。
それはもしかするとアメリカと日本の2つの国で子ども時代を過ごしてきたなのかもしれないと思うことがあります。
というのも
やりたいことはやったらいいよ!というアメリカと、
大人や先輩の言う通りにしなさい!という日本。
やりたいことは大切にしてもいいという価値観を育ててもらったアメリカから、やりたいことよりもやらないといけないことを大事にしなさいと言われたような帰国後の日本の経験。
きっと自分の意見が育ち出す思春期真っ只中に、自分の価値観を180度覆すように感じたからなのか、その価値観は強烈で、未だにそこをうまく消化出来ていない自分がいるのかもしれないと思っています。
それがなんと『自分思考』の著者山口絵理子さんは、色んな国の文化に飛び込み、答えのない問題に出会い、一つ一つ答えをを産み出し行動し続け、「途上国から世界に通用するブランド」を作り上げてこられました。
アメリカと日本の2カ国だけでこんなにもスタックになっている自分と大違い。その秘訣は何かと探しながら読み進めてみると心にとどめて起きたい3点に出会ったので、書き留めておこうと思います!
2.「自分」の決める基準の育て方
「途上国から世界に通用するブランドを作る」というミッションのもと、マザーハウスというブランドを立ち上げ活躍されていらっしゃる山口絵理子さん。
グローバル化の波に流され、
なくなりそうになっている伝統手工芸の技術を、
世界に通用するブランドにしていく中で、
途上国と先進国をつなぎ、
豊かさを広めていく
という活動をされていらっしゃいます。
それは、同時に、誰も歩んだことのない、新しい道を作っていくプロセスでもありました。
誰も歩んだことのない道を作っていく上で大切なこと。それは、
「最終的に判断する「自分」」
山口絵理子『自分思考』
を持っておくこと。
この当たり前のようで、何度も何度も耳にする言葉。
それが今回山口さんの紡ぎ出されるストーリーと共に受け取ると、不思議な感覚とともに頭に残りました。
その理由を考えてみると、山口さんの著書には、そんな自分の育て方の正体が明かされているように感じたからだと思います。
判断できる「自分」は一夜にして作られるのではなく、もっと泥臭く、不格好で、間違えることも、失敗することも、周りに迷惑をかけることも、自分が傷つくこともあるけど、行動し続けることで育っていくもの、なんだよ、と。
マザーハウスのあの素敵な商品からは想像もできないくらいの壮絶なドラマと共に語られる言葉はとても力強くストレートに伝わってきました。
自分の過去と向き合い、直面している疑問を大事にしながらも、とことん悩むだけでなく、それでもやっぱりこれは大事なんじゃないかという自分の声を拾い上げて、やってみる。
自分の声に耳を傾け、素直にやってみる
私がこれからもっともっと意識していくことはこの部分だって気付かされました。
そこで大事なのは
「一歩でも半歩でも踏み出してみること」
「その場に立ち止まって考えているのとでは雲泥の差があるから」
山口絵理子『自分思考』
3.前提1:そもそも「正しい」判断なんてない
やってみることが大事と言われても、
周りに遠慮したり、迷惑かけたくないという思いが出てきてできない場合はどうしたらいいんだろう、
という自分の疑問が伝わったのか、山口さんはこう続けます、
「正しいかどうかなんてわからないこの世の中に生きて、一つ思っていることがある。最後、進むかどうかを決めるのは正しさではなく、自分の心だということ」
山口絵理子『自分思考』
そっか、そっか、そっかー。
ここに自分の行動を阻む考え方があったんだ。
そもそも私は「決める」という行為の本質を捉え違えていたんだ。
赤裸々に告白すると、
恥ずかしながら、道なき所に道を作っていく時に
私は「正しい」決断を外にも探そうとしている自分がいます。
そんなものは外をどれだけ探してもあるはずがないのに。
というのも、
私はそんなに気が効く方でもないし、
抜けているところもいっぱいあるし、
周りの言うことをしっかりと聴いて決めないと、
色んな大事なことを見落としてしまう、
んじゃないかという思いが大きくあることに気づきました。
けど、「正しい」判断ができる人なんていない。むしろ「正しい」判断なんてないという山口さんの言葉はとても印象的で、やるかやらないかを決めるのは「正しさ」ではなく自分の心なんだという部分。初めて受け入れられた気がします。
決める上で「正しさ」の基準がもしもあるとするならば、それは自分の哲学や自分の大事にしたいことと「合っているか」という正しさでいい。
そして、勉強大好きだけど、おっちょこちょいで気づかないことも多い私だからこそ、周りの声は聞きつつも、自分の中にある頑固なものはそのまま大切にしていけばいい。その頑固さを基準に選んでやってみて、自分を育てていったらいいって。
そうしているうちに、道なき道を作っていけるようになっているのかもしれない。
それだったら、私もできるかも、という希望が湧いてきたのです。
4.前提2:そもそも決断は何かの犠牲の上に成り立っている
更にこの文章にも励まされました。
「決断」っていうのがつねに何かの犠牲の上に立っている世界の中で、プラスだと思えることが、それがもつネガティブな「リアクション」で、まったく相殺されて、0になってしまうのではないかと思う時もある。
と。
そっか。決断っていうのは「常になにかの犠牲の上に立っている」んだ。
それがわかり、自分がこれまで決められなかった理由がすとんと腑に落ちました。
私はどこか決断するというのは、
みんなにとって今よりも少しいい状態になるために
していくものという認識がありました。
子どもや夫が嫌がるのなら、自分さえ我慢したらいい。
身近な人を悲しませてはいけない。
彼らの意見も尊重しないといけない。
そんな思いにがんじがらめになっていた自分に気付かされました。
けど、決めるってそういうことじゃない。
正しいかどうかなんてわからないという世の中に生きているということ。
だから、
やるかやらないかを決めるのは、「正しさ」ではなく、「自分の心」だと
そして、
「決断」というのは、常になにかの犠牲の上に立っている。
だから、
誰かを傷つけたくないのなら、何もしないのが一番いいということになってくる。
けど、
何もしないのが一番いいわけがない。
そして、
誰かを嫌な思いにさせるのが「間違った」決断だと感じている限り、
私は「決断」ができず、このトラップの中に居続けることになる、
そんな衝撃の事実に直面しました。
じゃあ、
誰かを傷付けて、反対されてまでなぜ人は「決断」をしていくのか。
それはやっぱり、0.0001%でもプラスに感じるものがあるのなら、
その「決断」によって、開ける世界があるから。
学べるものがあるから。
見える世界が変わってくるから。
人生の醍醐味が詰まっているから。
私はやっぱりそういう人生を歩みたい。
5.決断できる自分になるのに必要な3つのこと
なので、私はこれから、やりたいのにできないっていう状態になっている時は自分にこう問いかけてみようと思いました。
1.やってみたら面白そうなことが起きそう?
2.その可能性が0.0001%でもあるなら、やってみよう!
3.やってみて嫌な顔されたとしても、自分の哲学に合った行動なんだったら「道なき道を一歩歩めた!」と「自分の道を歩み始めている!」としっかりと成功を噛み締めよう!
え!?こんなにシンプルでいいの?
うん、きっとそれでいいのです。
なぜなら、どんなに小さくても、進んでいくことで確実に道が作られていくから。周りの情報を取り入れつつも、最終的には自分の思いに「正しい」ことをしていくことで、そんな道がどんどんつながっていくから。
新しい道って創って行くものというよりかは
大きな未来を見つつも小さな選択の連続から
創られていくものというイメージに変わりました。
自分で選んで働きかけるのにはすごくエネルギーがいると思います。
それをする度に、道を切り開いて行けているとイメージできたら、そんな大変さ、乗り越えていけそうな気持ちになってきました。
「できるんじゃないかな〜」という自分の中の可能性を引き出してくださった山口絵理子さんの『自分思考』に感謝です!
今日から我が家はこの方針で、外の声と自分の中の声を戦わせながら、自分の声を育て、自分に「合った」道を作る日々を進んでいこうと思います。
私と同じように、決められない方にもお勧めです!よちよち歩きですが、確実に歩んで行きたいと思います。