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ほうれん草の一生

11月に種をまいた次郎丸ほうれん草が、

旬を過ぎた。

私の名前にも入っている「旬」という時は、

「10日間のひとめぐり」という区切りを意味する感じだそうで、

ひと月を上旬、中旬、下旬と

3つの10日間にわけることができる、と思えば、

ストンと意味がふに落ちる。

野菜の旬は、10日前後らしい。

間引き菜だったのが、いつから本来の旬に入っていたのかわからないので、

10日以上美味しく食べていた気もするが、

やはりこの気温が急上昇した1週間ほどで、

目立って虫に喰われてきたり、枯れた色になっていた。

「とうが立つ」というが、

葉物の中心からスッと茎が伸びて花芽をつけることを「とう立ち」という。

次世代の種を残す準備にはいる根菜や葉物野菜は、

人間が食べるには色々不都合な感じになってくる。

葉が枯れたり、花が咲いたり。まずくなったり、辛くなったり、筋ばかりになったり。


芽が出てから虫が全くついていなかった

私の畑のほうれん草。

同じ場所にまいた、かぶや小松菜はボロボロと葉がやられたり、アブラムシがビッシリついていたのに。

旬をすぎたほうれん草は、

いわば人生の折り返し地点を過ぎ、

若い頃は跳ね返していた虫にも負けるようになり、

葉は枯れ始め、

静かに「終わり」を見せ始めていた。

私はその様を、

「潔い」と思った。

潔いよいものは、美しい。


虫に喰われていようが、葉が黄色くなろうが、

種から見事に芽を出して、

厳しい寒さを越えて、

青々と茂り、

土を守り、

春の陽気に出会えたほうれん草の人生を

私はずっと見ていた。

私のほうれん草は、

甘かった。

甘く作ろうと思ったわけではないけど、甘くなってくれた。

美味しかった。


永遠の命も、永遠の若さもいらない。

私も自分の人生の旬を

やるべきことを終えたら、

潔く、土に還りたい。

そして次の種の寝床になりたい。





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