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多様性について

私は数年前からずっと、多様性について考えている。

かつて友達だったカオル(仮)が、自分は同性愛者だと打ち明けてくれた時に、「ふぅん、じゃあ普通じゃないんや」と、何も考えずにこぼしてしまった。

「私と同じではない」という意味で言ったつもりが(私は男性が好きなので)、結果的に私個人の「普通」をカオルに押し付ける形になり、そこから友達付き合いが絶えてしまった。

世の中の性差別、引いてはあらゆる「多様性」が話題として上がる時、私の心がうずいて、鈍い痛みが走る。いつ思い出しても、後悔で押しつぶされそうになる。

世の中は少数派を受け入れて、差別もヘイトもゼロにしようとしてる。それができたら、歴史上の偉人たちがとっくに解決してくれているだろう。

ゼロにできたらいいけど、やっぱり難しいと思う。人間だから、誰にでも相容れないことはある。自分と意見が合わない人のことを知って、話し合っても無理だと思うなら、分かり合えなくてもいいし、認められなくてもいいと思う。それも多様性のひとつじゃないだろうか。ただ私みたいに、何も考えずに自分の「普通」を相手に押し付けてはダメなんだろうな。

そして相容れないなら攻撃ではなく、通り過ぎるようにしたい。攻撃は物事を悪化させることがほとんど。攻撃すれば少数派と多数派が入れ替わるだけで、数年後にはまた争いになって、互いの立場が入れ替わる気がする。

攻撃の代わりに、好きな人への「想い」を話し合えたらいいな。誰かを大切にする、愛する、慈しむ心は、老若男女問わず同じではないだろうか。国籍や人種が違っても、好みが違っても、意見が合わなくても、その人の愛情に親近感が湧くのではないか。

正しさを言い合えば、人は衝突する。
好きを言い合えば、人は笑顔になる。

こんなの私の理想論に過ぎない。人間の複雑な感情、社会の制度や偏見を変えるには時間がかかるだろう。変わらないことだってあり得るし、悪化することもあるかもしれない。

私の理想論を語ったところで、カオルに放った一言がなかったことにはならない。いくら学んでも、考えても、気をつけたとしても、無意識にまた失言をしてしまうかもしれない。まだ考えが完璧にまとまっているわけでもない。何年考えても考えても、今の考えが自分と意見の違う人に寄り添えているのかも分からない。

でも正しさではなく、好きへの「想い」についての話をして、その人自身を見る努力をしたい。

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Mai🍁いとをかしな日常
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