見出し画像

言葉をサボって蘇る、友達との苦い思い出

言葉をサボっていはいけない。しなくていい勘違いやすれ違いが生まれて、人との関係がうまく行かないことがあるから。


言葉ってあやふやだな。言葉は柔軟なものだから、いろんな表現ができて楽しい。だた、「面倒」だからと言葉をサボると、人と心がズレていく。過去の苦い経験を思い出す。

何年か前、私には仲良しグループがいた。カフェも、買い物も、映画も、どこ行くのもみんな一緒。どの人も明るくて、優しくて、気が合う。

Aちゃんがグループの”リーダー”だった。彼女が「かわいい」と言えば、みんなも「かわいい」と言う。でもある日、私にはどう見てもかわいくないものがあった。単なる疑問で「どこがどうかわいいの?」と普通に聞いた。Aちゃんがムッとして、みんなが私を睨む。

いけない、仲良しレベルが下がってしまう。同時に、私たちのグループは会話をしていないことに気がついた。「かわいい」「美味しい」「すごい」で”会話”が成り立っている。気が合うと思っていたけど、実は全然違う認識や価値観があるのでは?

私は彼女たちに自分の話をほとんどしたことがない。いつもどこか気を使っている。彼女たちが何が好きで、どんなことに興味があるかも知らない。どの子も当たり障りないこと言って、Aちゃんの機嫌に合わせているように見える。

私はもっとみんなと会話がしたくて、興味があることを質問した。私も具体的に何が可愛いのか、美味しいのか話した。

だけど彼女たちはそういう付き合いは求めていなかったらしく、自然と疎遠になった。誰が悪いとかではなく、単に付き合い方の違いだった。でも難しいね、乙女心ってのは。

お互いの意識や言葉のズレで、しなくていい勘違いがあったかもしれない。もっと話し合えば何とかなった関係もあったかもしれない。「たられば」だとしても、どうにかできた関係を続けられなかったのは辛いし、寂しい。

この苦い思い出と、旦那さんとの「シンプル」話から、言葉をサボってはいけないと改めて思った。

この記事が参加している募集

サポートありがとうございます。