『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』の感想。考察と気になったところも。
旦那さんと『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を観てきた考察部分だけ、ネタバレあります。
自分の人生を生きているようで、「誰か」が用意した舞台で「誰か」になるように仕向けられていたら…。
私は『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』を観てそう思った。
評価
★★★★☆
簡単なあらすじ
※英語と日本語で少し予告が違うから、両方見ると楽しい。
最初に思ったこと
ただただ悲しい。太宰治の『人間失格』を読んだ時と同じような気持ちになった。心が重く、「もう少しアーサーが救われてもいいだろう」と思わずにはいられなかった。前作のキャラと階段も登場するから、前作をおさらいしてくともっと楽しめると思う。
アーサーとジョーカーは何を考えているか分からなくて、最初から最後まで不穏。何か衝撃的なことが起こるかもしれない、とハラハラしっぱなしだった。
印象に残ったところ
音楽がよかった
言葉にできない想いを、歌で伝えるのが詩的だった。ミュージカルのようだけど、明るさや楽しさを感じないのが印象的。
病院?刑務所?の無機質な空間から、ミュージカルのようなカラフルな世界に切り替わるのが良かった。メリハリが効いていて、見ている人を飽きさせない演出だった。
Spotifyには、前作と今作のサントラがまとめて入ったプレイリストがあり。
ライティング(照明)が最高
シルエットで踊るリー(ガガ)、暗闇に浮かぶタバコの火、寂しげに歌うジョーカー。ずっと「影」がつきまとう感じだった。
ホアキンの名演技
前作を見ても思ったけど、やっぱりホアキンの演技は狂気じみている(褒め言葉)。あの悲しく不可解な笑い。ガリガリに痩せた体。生気のない目。役作りを本気度がすごい。ホアキン・フェニックスという俳優ではなく、完全にアーサー・フレックに見えた。そして本当に、アーサーのような人が実在するんだと思わされた。
印象的なのは、ジョーカーとしてスーツを着ていると妙にかっこよく見える。姿勢が良いから?別人みたいに思う。
レディ・ガガが可愛い
彼女の影のある雰囲気が、アーサーの相手役にピッタリだと思った。思想も行動もクレイジーだ。彼女の服装、笑顔、声も可愛い。話しているときの声は愛らしいのに、歌うと声が太く迫力があるり、そのギャップに鳥肌が立つ。
タバコにも意味がある?
旦那さんは「タバコが、アーサーと人を繋げているのではないか」と考えたそう。タバコがよく出てきて、アーサーが人からもらうシーンがいくつもあった。リーとアーサーの檻越しのシーンは、特に印象的だった。
感想
ジョーカーの世界にどんどん惹き込まれていく。私も、ジョーカーに何かを期待して見ている野次馬だった。
偶像崇拝、同調圧力の怖さ。アーサーは自分を道化師にすることで、悲しみや怒りをごまかせてたように思う。自分じゃない何かの仮面をかぶるような。でも今作の彼は社会、人、法律だけでなく、自分を守る仮面のピエロにすら翻弄されたように思う。自分が影なのか本体なのか分からない感じがした。誰かが用意したステージに立たされ、何も分からないままに演じさせられたアーサー。
人はみんな何かを崇拝している。「何か」「誰か」に、自分の理想をあてがう。その「何か」「誰か」が、自分の期待通りにならないと分かった瞬間、ばっさり切り捨てる。
アーサーが裁判所で言った「ジョーカーは〇〇」で、私は少しがっかりした。この先の展開で、私をワクワクさせてくれないなと思った。私も野次馬だった。彼には罰や暴力、崇拝ではなく、愛のあるサポートが必要だった。「アーサー」として見てくれる人がいないといけなかったのに。
気になったところ
個人的に、終わりがいまいちだった。前作ほどの衝撃はなく、謎が残った。もし続編が作られるのが前提で、あの終わりなら理解できる。監督は今のところ、「続編はない」と話している。でもファンによると、1作目のときも同じことを言っていたそうだ。3作目も作ってほしい!
【※ネタバレ】考察を読んでみた
海外のサイトやReddit、日本のサイトの考察によると、ホアキンが演じるジョーカーは、バットマンとジョーカーが出会う30年前くらいのお話になるそうだ。本編で、リーが本当に妊娠したかは明らかにされていないが、彼らの子どもが「ジョーカー」になるとファンは予想。
私は、アーサーを刺した奴が次の「ジョーカー」になるのかと思った。でも旦那さんいわく、アーサーを刺した奴は、リドラーになるのではないかと予想。彼を次のジョーカーにするように見せて、観客にミスリードさせているのかも。
あの終わりで続編がないのは納得がいかない。ジョーカーとハーレー・クインが、バットマンにも出会ってないし、悪のカリスマのジョーカーが見たい。そして、最後の「訪問者」は誰だったんだろう?リー?Two Face?アーサーの弁護士?それともあの小人さん?
Redditによれば、「誰もいない」という意見もあった。看守が仕組んで、アーサーを刺すように指示したのかもしれない。もしそうなら、アーサーが刺されても誰も来なかったのは納得がいく。でも看守がそうする理由やメリットが分からないな。
最後
人間は恐ろしい。盲信すると周りが見えなくなる。都合良く誰かを理想化し、そうじゃなければ簡単に裏切る。純粋で素直な人ほど、その犠牲になりやすい。もし、アーサーに環境が整って理解者がいれば、結末は変わったのかもしれない。
そして自分の中にも、無意識に誰かを都合よく扱い、同調圧力に流される一面があると思うと怖い。”正義”の名のもとに暴力を容認する危険が、誰にでも潜んでいるのかもしれない。
でも人間のそういう醜さにこそ、生きることへの執着や本質を映し出す。物語としては、そこがおもしろさでもあった。