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丁寧な生活をする旦那さんを見て思うこと

朝7時頃、カナダの空はまだ薄暗い。

旦那さんは窓辺に置いた植物たちに水をあげる。唐辛子のカラコちゃん、ラベンダーのベンダーくん、ネギのネギ田一家、ミニバラのバーバラさん。きっと心の中で植物に話しかけていると思う。

私も、植物が成長するのは嬉しい。彼のお世話が身を結んだと思うから。ミニバラのバーバラさんの葉っぱが枯れて、私はもう復活しないと思った。だから捨てようと提案したのだけど、彼は諦めずにお水をあげたり、日光の調節をしたりしていた。

数週間後、緑の葉っばが出てきた!正直、「無駄な努力じゃない?」と思ってごめんなさい。

彼は植物、人、あらゆる生き物に優しい。私からすれば彼はブッダのような存在だ。ゲームの時は、”S**t" と”F**k” を連呼しているけど。

物事の本質を見て、誰のことも差別しない。彼は自分のことを『冷徹な人間』と言うが、私から見たら彼は情に厚く、無理をしてでも誰かを助けるように見える。そして彼は、全部ひとり背負い込んで疲れてしまうんじゃないかと心配になる。だから人を気遣うのはいいけど、自分が疲れるまで頑張らないでほしい。そんな彼の優しさに時々、私は腹が立ってしまうのだ。

反対に私は良い人間ではない。バーバラさんを簡単に見限ったし、実の親や兄弟を切り捨てた。家族は私にひどいことを何十年もしてきたから、離れてよかったと思う。でもたまに、「旦那さんなら、みんなが幸せになる方法を見つけたかもしれない」と考えてしまう。

旦那さんは毎日を丁寧に生きているように思う。彼は植物に水をあげたら、コーヒーをドリップして、バルコニーに出る。まだ車も人通りも少ない静かな時間帯。ゆっくりと顔を出す朝日を眺めて、コーヒーをすする。

彼と比べがちだけど、私にも小さくできていることがある。編み物をコツコツ続けたり、勉強を30分でもやったりしている。私も、自分なりの方法で丁寧に日々を積み重ねているじゃないか。


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