トラウマの本当に厄介なところは…
この前、こんな記事を書いた。
父親が逮捕されたこと、日常的な暴力など「衝撃的な出来事」をトラウマだと思ったけど、それだけじゃない。
もっと根深いもので、日常に潜んでいる。
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トラウマの一番厄介なところは、うまくいっている時、「乗り越えられた」と思った時に、ふと現れてこちらを動揺させてくるところだ。何の準備もしてないから、面食らう。
旦那さんにこんな事を言われた。
自分では意識してなかったけど、思い返せばそうだな。
何気ないことを話して、ちょっとでも彼が真剣な顔で黙り込む、彼がしんどくて元気ないだけでも、不安になる。私のせいで彼が悪い気をしたと思ってしまう。
そりゃ、自分の好きな人にだけは嫌われたくない。なのに、誰かに大事にされてもどこかでまた裏切られるかも、と考えてしまう。自分が何も悪くなくても、反射的に謝るクセも抜けない。家族から離れたのに、まだ心のどこかに呪縛がある。
もうひとつ厄介なのは、トラウマは人に見えない。
どれだけ深いのか、どれだけ辛いのか全く、見えない。気持ちや体験を上手に説明するのも難しい。
気持ちは主観的なものでもあるから、「乗り越えろ」や「忘れろ」と思う人がいるのは、最もだ。私も自分の痛みは分かってほしいと思うくせに、誰かの痛みには寄り添えないことだってある。
中には、誰がどれだけ辛いかを比べる人もいる。でもそれを比較しても、みんなの傷が抉られるだけだ。みんな、どの体験もそれぞれ辛いに決まっている。
本人が一番トラウマを乗り越えたいし、忘れたい。それができないから苦しむ人がたくさんいる。
だからといって、ひとりでは解決しにくいし、放っておいても抱えきれない。信頼できる人に聞いてもらう、カウンセリングを受ける、自分が楽しいことを探して没頭する。そうやって、ちょっとずつ向き合って、受け入れていくしかない。
たまに辛いことを思い出して、嫌な気持ちを吐き出してもいい。「癒やすには時間がかかるんだ」と言い聞かせて、とことん落ち込む。その後はまた気持ちをリセットして、楽しく過ごす努力をしていく。
つい、「こんな自分はダメだ」と無理に元気になろうとするけど、それは心にとって良くない。
トラウマは落ちない服のシミみたいに思う。人には分からない程度の薄いシミだけど、隠しても、消そうとしても、自分にはそのシミがあるのが分かるし、見えた時にウンザリする。
消えないシミなら、もうそこにただ「ある」ことを認める。着た時だけ思い出せば良い。もし一緒にシミ落としを頑張ってくれる人がいるなら、全力で信頼する。
そうして、厄介なトラウマとはちょっとずつ、程よい距離感を見つけていくしかない。
それでもトラウマさん、せめて「今から現れますよ〜」と合図をくれないかな。