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逍遥カメラババァ健康追及記その1
先ずは自己紹介
逍遥カメラババァ OJAICO(しょうようかめらばばぁ おぢゃいこ)です。気になるものをがあるとそこにカメラを持って出向いていって、カメラのファインダーを覗き、シャッターを切る。すると、なかなか映えな写真が撮れることがあるので、それらをSNSで発信したり寫眞集にまとめて同人誌即売会で頒布したり、額装してグループ展に参加するといった活動をしている、天命を知る頃合いになったババァです。
何卒、よろしくお願いします。
ババァ、天命を未だ知らず。
さて、私こと逍遥カメラババァOJAICO(以後、ババァと称する)であるが、今年半世紀を生ききってしまった。親がすこぶる丈夫に産んでくれたのでメスはおろか内視鏡の跡もなく、さらに骨についても骨密度が年齢平均よりも高いらしい。このとおり、見た目はかなり丈夫なのであるが…
代謝機能はイマイチ、なんである。
幼少から内蔵がとても丈夫だったがゆえ、祖母の食いしばきのような食育にあうも全く音を上げずにいたら、未だにどんぶり飯が食べれる健啖ぶりとわがままボディが形成されるに至った。が、4年前に2型糖尿病の診断。それから投薬治療を開始。気がつけば高脂血症と高尿酸血症の薬が追加され、現在月に1度医師の経過観察を受けている。もともと、尿酸値は20代から高めで推移していたし、極端に太ると中性脂肪も高くなるような感じではあった。流石に極端に太るとまずいとなって、そのたびにダイエットはしていた。
これぞまさに生活習慣病。
そのため、たまに痩せることはあってもそれを維持するまでには至らず、45歳を越えたあたりから体重がBMI30あたりをうろつき出した途端、糖尿病治療が必要な肉体になってしまった。はじめて糖尿病を言い渡され、投薬が必要なレベルと知ったときは流石にショックで、3ヶ月ほどでBMI30を切る勢いで痩せた。そのため、通院頻度もあっさり1ヶ月から、2ヶ月、そして3ヶ月へとのびた。実に優良な患者であった。が、人を創るべく積み上げられた習慣はそう簡単には改まらない。だんだん自己コントロールができなくなり、あっさり体重も血糖値ももとに戻ってしまった。
「習慣」という名の病
ここまで書いてみて気付いたのは、私は物心ついたあたりから習慣化されたモノに日々形作られなるようにして、半世紀がかりで投薬が必要な状態になった、ということである。
それならば、習慣を逆手にとればいんじゃね?
と、思い至り、早速行動に移してみることにした。まずは、習慣を叩き直してくれそうな修行の場を見つけなければ…と私はある決断をし、スマホのGoogle先生にこう、尋ねた。
『糖尿病専門クリニック』
すると、自宅から自転車でも行けそうな至近にあることが判明し、善は急げ早速予約ということでアポイントをとるべく、連絡。すると、初診は平日のほうが予約が取りやすいとのことであった。幸い、自宅の排水管清掃日が平日休暇だったので、そこにアポイントをねじ込んでいただいた。