見出し画像

『朧の森に住む鬼』できればあともう一段階、深い闇堕ちを見たい、その根拠を書いてみよう

シェイクスピアの『リチャードⅢ世』をベースにしているそうだが、
作品自体はほぼオリジナルと言ってもいいだろう。

シェイクスピアにインスパイアされたであろう要素、
登場人物それぞれの、〈権力、野心、人間の本性〉を感じさせながらも、
歌舞伎の世界観〈見立て、宙乗り、立ち回り、隈取等々〉とマッチングさせ、独自の色を放っている。

物語はテンポよく進み、観客を引き込む力強いスピード感が漂っている。

舞台上で繰り広げられる演技は、
まさに歌舞伎役者ならではの魅力を存分に発揮している。

今さら言うまでもないが、
歌舞伎特有の一挙手一投足、所作、舞いが、登場人物たちに命を吹き込む。

特に注目すべきは、役者の正確な動きの精緻さと迫力だ。

身のこなし一つで感情や心理を表現するその技術は、
まさに歌舞伎ならではのもの。

殺陣や舞の場面でその力量を余すところなく披露し、
視覚的な美しさだけでなく、
物語の緊張感や後半のカタルシスにも見事に寄与している。

また、

森から降りてきた熊の時事ネタもアドリブ?で放り込んで、
観客の気持ちを更に舞台に引き寄せて煽る技術も巧みだ。

その上で、舞台の上に広がる「朧の森」という幻想的な世界が、
物語の陰影と合わせて非常に強い印象を与える。

森の中で展開される鬼たちの物語が、
観客にとって非現実的でありながらもどこか現実的な感覚を呼び起こす。

このバランスが絶妙であり、観る者を夢幻的な世界へと誘う。
「朧の森に住む鬼」は、単なる歌舞伎の新しい試みではなく、
歌舞伎という伝統を現代的な視点で再構築し、
シェイクスピアの名作に新たな命を吹き込んだ作品であると言えるだろう。

ひとつだけ、私見をいうと、
ライの宙乗りに関して。

ライ→闇落ち→鬼として更なるもう一歩というのはどうだっただろう。

「歌舞伎」「かぶく」という言葉には、
一般的に「常軌を逸する」「型破り」などの意味がある。

日本の伝統的な道(武士道、剣道、柔道、茶道、書道等々書ききれない)を、
追及することが人としての在り方を形成するものであり、
これに外れることは、しばしば「反道徳的」「異端的」と見なされがちだ。

しかし、そうした道を逸脱して「かぶく」、
すなわち傾くことで生まれる個性や自由もまた、
一つの美徳として捉える、まさに歌舞伎のように、

型を破りながらもその中に深い美学や業、人生観を見出す。

特に、「人としてかぶく鬼」という表現は、
伝統的な価値観を無視し、
むしろそれを超越する存在、
この「鬼」は、言うなれば規範や秩序に縛られないが、
その暴力的な一面を強調しつつも、
ただ「俗っぽい」というだけで否定されるべきではないという視点が示唆されているのではないだろうか。

あまりに俗っぽいだろうか・・・

アナキン→ダークサイド堕ち→ダースベイダーwww

のようなライの鬼、

そんな宙乗りも見たい気がした、
セカイ系ならぬジゴク系、
新たなジャンルだ。

芝居の表現力の豊かさ、美しさ、精緻さゆえに、
そんな事を思いながら宙を見ていた。

もちろん、
諸行無常の響きも魅力的で素晴らしい。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集