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『ヒットマン』リンクレイターが出し続けるメッセージとは?

〈変装はできないが、
変奏し続けるリンクレイター〉

ゲイリーは様々な人物になりきることで、
複雑なミッションを遂行していく。

この多面的で変幻自在なキャラクターは、
一見するとタランティーノ作品のような、
ユーモアや、ブラックなテイストを期待させる。

しかし、リンクレイターは、その期待を裏切るような、
コメディの成分は多少はあるが、
どこか真面目なトーンで物語を進めていく。

どういう事か。

本作のおもしろさは、

◯主人公の多人数の変装。

◯殺人の依頼を受ける殺し屋。

◯おとり捜査。

◯ラブ

だろう。

それに、ブラックさ、ユーモア、アクション等々を加味しない理由は、

リンクレイターのパーソナリティ(作家性というよりも)、

に関係があるのかもしれない。

本作のセリフでも何度も出てきたが、

〈自分って誰〉

〈新たな人生〉

〈違う自分〉

これは、

「スラッカー」から、

手を変え品を変え、

インディペンデントで、
メジャーで、

時には裏声も使いながら、
さじ加減も変えながら、

常に同じメッセージを作品に内包させ続けてきた。

その理由を類推すると、

アメリカ人として、
映画監督として、
ひとりの人間として、

小文字の、

make america great again
を、
人生に仕事に、
アイデンティティに、

目の前で途中下車、
または、
乗り換えをした仲間たちに、
ささやき続けてきたのではないか。

そして本作でも、
残り少ない時間を意識しながら、

あらゆる変装を試みて、

自己探求を行うだけでなく、
社会の中で様々な役割を演じ、
その中で自己を見出そうぜ、

エブリバディ・・と。

ユーモアの成分を少なくして、

つまり、
ゲイリー100%で、

俺はロンにはなれないんだと、

言い続けていたような気がしてならない。

【蛇足】

新宿ピカデリーの、

「リトルダンサー」デジタルリマスター上映のプロモーションのポスターの巨大さ、デジタルサイネージの物量に驚く。

ケン・ローチ作品でおなじみの、

ゲイリー・ルイスが演じるガンコ親父と、

主人公の兄貴のストライキのシークエンスは、
単なる感情の揺れを追うだけではなく、
物語の必然的な流れとシンクロしながら描かれていく。

自分が参加した作品のシナリオ会議で、

このシークエンスの親子の関係、
仕事仲間との連帯感と対立、
個の葛藤、
価値観の衝突、それぞれの役割り、
バランスの按分を何度も例に挙げさせてもらった・・・・

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