『シビル・ウォー アメリカ最後の日』シナリオは粗い、それが狙い。
シナリオは粗い。
登場人物の互いの葛藤や苦しみを、
緻密に編んで進めていく構成は採用しない。
粗さを利用すること、
状況の全体を見せないこと、
を前半に主人公に宣言させる。
なぜなら全体はアメリカの今、現実だからだ。
(メインプロットはアメリカの今、と言っても過言ではない)
キルスティン・ダンストのセリフ、
「私は自問自答しない。
ただ記録するだけ、それが報道」
その報道のスタンスで、
距離を置いて撮り続ける。
反乱軍のプロセスを問う事もしない、
政府側の回答も深くは追わない。
撃つ者と撃たれる者を追うだけ、
撃つ者の葛藤、狂気も、
撃たれる者の無念さ痛み、
軍服、私服の区別、
も細かく描写はしないどころか、
カントリーミュージック、
ミックスされたポップス、
で、流す・・・・、
「ドリーム・ベイビー・ドリーム」
ヘビーな、
ドアーズも「THE END」も不要だが、
銃弾やプロペラが空気を割く音は、
地獄の黙示録よりも過剰、
コッポラ(ソフィア)が発掘した、
ケイニーとキルスティン、
パブロ・エスコバルの、
ワグネルを最前線に配置、
A24らしい。
大統領も、
トランプには似ていないが、
バイデン、ハリス、オバマ、ブッシュと比較すると、
トランプに近い・・・
ここでも、近づかないし、離れない距離、
最前線を撮らない、向こう側も撮らない、
全体は見せない、
あくまでも、
銃後、最前線の後ろ、
戦場カメラマンの距離、スタンスだ。
意訳すると、
この意味は観客が考えろ・・か。
それで説得力があるのか、
結論から言うと、
ある、
あり過ぎる。
現在の米国の分断の状況と、
2021年のトランプ支持者による議会襲撃事件、
トランプ狙撃事件、
が、
今、そこにある危機、
だからだ。
分断の悲劇や現実に起きている事件を、
単なるニュースとして消費するのではなく、
その根底にある問題について深く思考、
アクションすることを要求しているのかもしれない。
それは、ドキュメンタリーのような説得力と、
フィクションならではの想像力を兼ね備えた、
一種のA24らしい実験的な作品、
あるいは、
いつものA24らしい手法の作品とも言えるだろう。
【蛇足】
上映中、客席で、
かなり大きいイビキをかいている人がいた。
周辺は軽いシビル・ウォーになっていた。