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『ヒルビリー・エレジー』米国ラストベルトからの叫びyoutubeでも話してます
J・D・ヴァンスの自伝小説を映画化した本作は、
ラストベルトの悲鳴をスクリーンに焼き付けた衝撃作だ。
ヴァンスの叫びは、動く悪人を選択する時、
動かない善人は恐怖に震えて立ちすくむしかない、
という絶望的な現実を突きつける。
そこに愛はあるのか? 論理も効率もデータもエビデンスもいらない!
そんな叫びが、映画全体を貫く。
本作は、回想シーンが多い作品が陥りがちな落とし穴を巧みに回避している。
成功していない例が少なくないのは、
現在から回想へと物語が切り替わる際に、
観客が主人公を追いかける気持ちにブレーキがかかってしまうからだ。
しかし、『ヒルビリー・エレジー』は違う。
ガキの頃のJDとグレン・クローズ演じるおばあちゃん、
大人になったJDとエイミー・アダムス演じるおかあちゃん。
回想と現在を行き来しながらも、
物語を追うよりも、JDとグレン、JDとエイミー、
そしてグレンとエイミーの心の機微に焦点を当てる。
→→回想→→現在→→グレン→エイミー→JD、
と直列につなぎ、感情の奔流をダイレクトに観客に叩きつける。
娘には地獄の底までしか寄り添えなかったが、
孫には地獄の果てまで寄り添う! もう後悔はしない!
その迫力は、孫から娘へと逆流し、鑑賞者の心を揺さぶる。
これは、シナリオや演出、編集といった技術論を超えた、
ある種の情熱だ。
ロン・ハワードは、『アポロ13』のような大作から本作のような人間ドラマまで、
どんな作品でも、
登場人物が増えようが、
300キロのスピードが出ようが、
宇宙に出ようが、
この「愛」を描き出す。
あらゆるケレンを排除しても、
ただただ「そこに愛はあるのか?」という問いを投げかける。
気持ち、気迫。それが一番大事だ。
本作は、ハッピーエンドではない。
しかし、それは決して悲劇的な物語でもない。
これは、オハイオの荒野に咲いた、
一輪の感情のグラフィティだ。
JD・ヴァンスの叫びは、
私たちの心に深く突き刺さり、
そしてロン・ハワードの愛は、私たちを温かく包み込む。
2020年12月鑑賞
youtube でも話してます。
https://youtube.com/watch?v=xoly2Q3AIgI&t=186s……