『キラー・ヒート 殺意の交差』冗長性の高いシナリオとは
原作者ジョー・ネスボの狙いは、
太陽に向かって飛ぶイカロスよりも・・・、
はやい飛行機よりも、ゆっくりの船、
だったのではないだろうか。
どういう意味か。
70年代アメリカのハードボイルド探偵小説のような原作の映画化は、
現代において希少な試みと言える。
特に、安易な連続殺人のような展開を避け、
プロットを絞って演出や演技で魅せるという、
冗長性の高さを重視した手法は、
昨今の洋画、邦画、韓国、アジア、
いずれの映画界では見かけることが少なくなった。
この挑戦的な姿勢は評価に値する。
そういうチャレンジをしているならという前提で、
本作にはいくつかの疑問は残る。
中でも大きなものは、
ジョセフ・ゴードン=レヴィットのキャスティングだ。
彼は、酒に溺れるやさぐれた探偵役を演じているが、
どこか浮いたというか真面目な印象が拭えない。
彼の高い演技力にも関わらず、
キャラクターの魅力を引き出すには、
もう少し工夫が必要だったのではないだろうか。
例えば、
マーク・ウェブ監督のように、
細かい演出で、
レヴィットの引き出しを最大限に活用したり、
クリストファー・ノーラン監督のように、
言葉少なに硬いキャラクターを演じさせたり、
様々な可能性があったはずだ。
特に、船上で地元の漁師と酒を飲むシーンは象徴的だ。
レヴィットは、誘われて飲み始めるものの、
どこか場違いな雰囲気を醸し出している。
このシーンは、
彼のキャラクターが周囲の人々と上手く溶け込めていないことを如実に表している。
そういう意味のシーンでもあるだろう。
しかし、
もし、ジェフ・ブリッジスが「ビッグ・リボウスキ」で演じたような、
どこか抜けた魅力のある探偵や、
あるいはエリオット・グールド、松田優作のような地元の人々と自然に馴染み、
より説得力のあるキャラクター造形をしていれば・・・(可能だったはずだ)。
ミスキャストと言うよりは、
レヴィットの演技力を最大限に引き出すことができなかったという表現が適切かもしれない。
冗長性と探偵映画は、一見すると相性の悪い組み合わせに思える。
しかし、「ロング・グッドバイ」や「ビッグ・リボウスキ」といった作品は、
そのゆるゆるな緩やかなテンポと魅力的なキャラクターによって多くの観客を魅了してきた。
本作も、そういった作品に影響を受けていることは間違いないだろう。
本作は、現代の観客に、かつてのハードボイルド探偵小説の魅力を再発見させる可能性を秘めている。
しかし、もう少しキャラクターの掘り下げや、
俳優の個性を生かした演出が必要だったように思う。
【蛇足】
冗長性の高さはコメディ作品とは相性はいい。
三谷幸喜氏がやりたいのは、
そういう作品だろう。
ビリー・ワイルダーや、
エルンスト・ルビッチ、
日本で言うと重喜劇とよばれた作品群や、
寅さんのような・・・
しかし、今ではもう、絶滅危惧種だ。