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『セプテンバー5』スピルバーグより上手
スピルバーグより上手
巧みなテンポと演技で、
複雑で多層的なテーマを見事に描き出している。
特に、登場人物たちの微細な感情やリアクションを、
無駄なく展開する手腕は見事だ。
通訳役のレオニー・ベネシュ(『ありふれた教室』『ザ・クラウン』での演技も素晴らしいが、やはり『バビロン・ベルリン』のレオニーが特に印象的だ)の演技も相変わらず絶妙だ。
彼女がコーヒーを頼まれた時、
老スタッフとの間で交わされるわずかなやり取り、
微妙なリアクションが、ほんの一瞬で描かれるが、
その間に込められた感情の動きや、
また、
重量挙げの選手を偽るスタッフの微妙なやりとりも、
短尺で笑いを生み出す絶妙な描写だ。
ほんの0.1秒の間に織り交ぜられる、
登場人物たちの感情の小さなうねりや駆け引きが、
作品全体に張り巡らされた緊張感を強調している。
短尺で対立する葛藤を的確に表現し、
観客に濃淡のある対立をマッピングして印象を積み上げていく。
描写は一貫して対立を映し出し、
その構造は観客にとって非常に分かりやすい。
登場人物の過去や背景に触れることなく、
彼らが抱える対立と葛藤が浮き彫りになり、
これがエンタメ作品として高い完成度を持つ理由のひとつだ。
エンターテインメントとして、
誰もが楽しめる内容でありながら、
その背後には多くの社会的・政治的なテーマが潜んでおり、
それらが巧妙に絡み合っている。
極めて多岐にわたり折り重なったレイヤーの一部を紐解くと、
イスラエルとドイツ、
イスラエルとPLO、
ABCとCBS、
ABCとZDF、
選手と国、
スポーツ局と報道局、
表現の自由と警察権力、
言葉の重さと責任、
速報と確認、
ラジオと警察無線、
上司と部下、
英語とドイツ訛りの英語、
生中継と編集、
生中継と生フィルム(撮影前生フィルムと撮影済みフィルム缶の違いも細かく表現していた)
TVカメラと16ミリカメラ、
強行と交渉、
そして、
乾杯と献杯、、、
数え上げればキリがないほどの対立が映画の中で描かれている。
それぞれの対立が映画の中で巧妙に絡み合い、
多層的な意味を持たせる。
本作が描くエンタメベースのヒューマニズムの深さにおいて、
スピルバーグがヤヌス・カミンスキーの力を借りても到達し得ない領域を突き詰めている点も特筆に値する。
スピルバーグはエンタメを描くことにおいては卓越しているが、
歴史的事実が持つ緊迫感や、
キャラクター間の微妙な感情のやり取りの細やかさの
積み上げに関しては、
個人的には良い印象はない。
カラーパープル、シンドラー、
プライベートライアン、ブリッジオブスパイ、
いずれも、その理由はyoutubeで少し触れている。
本作はエンターテインメントベースで、
歴史的事実を約90分で見事に表現している。
観客は、単なるサスペンスやドラマとして楽しむだけでなく、
そこに込められた重いテーマをも感じ取ることができるだろう。