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青春の真ん中に立っていた日

 高校時代のことをもうあまり覚えていない。思い出せるのは所属していた吹奏楽部のことばかり。あれは高校生活第一日目、その入学式がいざ始まろうという最中、出席番号1番のNちゃんは挨拶もそこそこに身を乗り出すと、出席番号3番の私の顔を覗き込んでは中学時代の部活について問い質した。何もこんな所でいきなり聞かなくてもと困惑しつつ吹奏楽部だったと告げると小さく黄色い声を上げ「吹部だったの!?じゃあ体入一緒に行かない!?」と私を吹奏楽部の体験入部へと誘った。なるほど吹奏楽部の子を探していたのか。私の隣、出席番号2番の子に同じように問い質したのち演劇部だと答えられると早々に会話を切り上げるのを横で聞いていた。しかし私はその誘いを渋った。その頃銀杏BOYZばかりを聴き、中学生時代も部活帰りに銀杏のライブに行く程所謂邦楽ロックと呼ばれるジャンルに傾倒していた私は吹奏楽部に入る気は全く無く、中学校には無かった憧れの軽音楽部に入ると心に決めていたのだ。しかしそんな私の反応をNちゃんは全く無視で、次の日の放課後には帰ろうとする私の手を引っぱり強制的に音楽室へと連れていった。

 そういうつもりだったのに結局、私はNちゃんの隣で仮入部から本入部へと正式に切り替える登録用紙に自分の名前を書いていた。喉から手が出る程部員を欲しがっていた吹奏楽顧問のM先生はメデューサのようで、隙あらば目をじっと見つめて私を吹奏楽部員に変えようとしてくる。吹奏楽経験者ということも大きかったのだろう、「絶対逃すもんか」とはっきり顔に書いてあった。私は必死になってその視線を躱したが、努力虚しくM先生とNちゃんの迫力に負け、二人がかりの説得を断りきれるはずもなくまんまと吹奏楽部員にされてしまった。兼部も考えたが、現実は厳しく本校の軽音楽部はただの不良の溜まり場だった。そうして結局3年間吹奏楽部員として立派に青春を送る訳なのだが、なんだかんだ辞めずに続けられたのにはさまざまな理由はあれど、この時のNちゃんの強引さが何故か嫌じゃなかったことが今考えると大きな理由のひとつだったかもしれない。

 私とNちゃんの他に吹奏楽部員にされてしまった(または自分からなった)仲間が4人いて、皆吹奏楽部出身者だった。同期の中でもNちゃんは一番部活に熱心で、それに感化されるようにして他のメンバーも、そして私も、吹奏楽に熱中していった。吹奏楽部は何故か他の部活と違って休みが無く、月曜日から金曜日まで毎日部活動があった挙句、土曜日までも1日中部活があったというのに当時は全く苦に思わなかった。木管金管とバランスよくパートが分かれた私達は放課後の夕暮れの中、さっきまで楽器で演奏していた自分のパートを口ずさみ、合奏しながら下校した。邦楽ロックで埋め尽くされていた私のiPodには段々と吹奏楽曲が増えていった。「宝島」「伝説のアイルランド」「セドナ」「アルセナール」、「オーメンズ・オブ・ラブ」も好きだったな。

 高校2年生の夏の日、音楽室の前にS君を呼び出した。その日は1学期の期末テストの中日で、部活動が一切行われない放課後の校舎はしんと静かだった。梅雨も終わりかけのその日は、正真正銘夏なのだからこう言うのはおかしいのだけど、まるで夏みたいなと言いたくなるようによく晴れていて、ちょうど昼時の廊下は窓から差し込む光を反射して眩しかった。S君は、一言「ごめん」とだけ言うと階段をぱたぱたと降りていってしまった。そう言われることを覚悟していたはずなのに私の体はその場から離れられず、そこから見える駐輪場から生徒が帰宅していく様をぼんやりと眺めていた。しばらくしてそこにS君が現れて自転車ですれ違う友人に笑って手を振ると、その笑顔が申し分無くかっこ良くて、目が痺れるくらい強く腕に顔を埋めた。

 「ねぇ、そんなとこで何してるの?」Oのよく通る声が聞こえて振り向くと、長い廊下の突きあたりには部活仲間の5人がいて、こちらに向かって大声で話しかけてくる。「どこにいるかと思ったら」「探したんだから」別にそこからそんな大声出してまで話しかけなくてもと思いながら、そのデリカシーの無さがなんとなく面白くて少し元気が出た。「ちょっと忘れ物」と言って5人の元に戻ると誰に訝しがられることも無く、それまで話されていたのであろう夏休みに予定しているディズニーランドの計画へと話題は戻った。

 その日が七夕の前日だったことに気がついたのは翌日のことで、音楽室で同期の5人とお弁当を広げていると、「今日、七夕じゃん」とEが何気なく口にしたからだった。試験期間中は基本的に部活動は禁止されていたが最終日は例外で、その日は昼食を取った後の午後はずっと部活だった。それを聞いて「たなばた演らなきゃ!」と言ったのはいつもお弁当を最後まで食べているMで、「うん、わかる。それはわかるんだけどさ、先お弁当食べちゃお?」と隣に座っていたAは食べ終わったお弁当箱を片付けながら言った。

 有名な吹奏楽曲のひとつに酒井格作曲の「たなばた」という曲がある。吹奏楽経験者であれば誰もが好きになってしまうこの曲をもれなく私も大好きだった。曲自体の良さもさることながら、どのパートにも魅せ場があって演奏していて楽しい。うちの部内でも幸福感あふれるこの曲は人気で、誰かひとりが練習しだすと、つられて誰かも加わり、いつの間にか全体合奏になっているなんてことはしょっちゅうだった。Mがお弁当を食べ終わると、教室の真ん中に椅子を円に並べて各々の楽器を持ち寄る。Nちゃんの合図で演奏がスタートすると雄大な天の川を思わせる金管のハーモニーがゆったりと流れ出す。それを過ぎてシンバルがひとつ鳴るとテンポが上ってキラキラと華やかな七夕の夜を想わせる主題が現れる。時折流れ星のようにキラッと鳴るグロッケンが可愛いらしい。そのうちにトランペットののびやかな旋律が次のシーンの幕を引き、甘やかな中間部がやってくる。説明が無くとも、彦星と織姫が再会する場面を描いているだろうと容易く想像できる程たまらなくロマンチックで、私はこの中間部が特に好きだった。星が降る天の川のほとりで手を取り見つめ合う2人。Nちゃんの吹くアルトサックスは織姫で、Oのユーフォニウムは彦星だった。何十回と聴いてきたはずなのに、この日のふたりのデュエットはいつもより一層美しく胸に響いた。不意にいつの日か笑いかけてくれたS君の笑顔が脳裏に浮かんでぎゅうっと胸が苦しくなる。真昼間の白い廊下で、開放された窓枠に手をかけ俯きながら「ごめん」と呟く横顔はぎこちなくて、結構仲が良いと思っていた私達の関係は私の一方的な思い込みでしかなかったとはっきり突きつけられた。そんな状況だというのに、私は初めて間近で見るS君にのぼせていた。その時のことを思い出すと今でも口の中に苦い味が広がるような感覚に襲われる。マウスピースに唇を押し付けると、いつもより金属の味が強い気がした。遠くで悲しみの波が大きく畝るのを見つけて、私は演奏に集中しようと思った。

 トロンボーンとトランペットのファンファーレでクライマックスを迎えると、中間部のメロディーが高らかに奏でられる。ここまでもほとんど吹きっぱなしのところにこのラストのロングトーンが結構堪える。腹筋に力を入れて顔を真っ赤にしながらもトランペットに息を吹き込む。まるでカーテンコールで出てきた主役のようにメインテーマもそこへ再び交わり、隣でOが何度も練習するものだから耳から離れなくなってしまったグリッサンドの効いたトロンボーンのフレーズがバンド全体を引き締めると爽やかな喜びの余韻を残して曲は終わる。譜面から顔を上げるとホルンを吹いていたMとAが疲れすぎて肩で息をしている横で、Oは今吹いたばかりの例のフレーズをまたも練習しだしていた。体力の無い私も当然のようにバテていたけれど、その疲労はどこか清々しくもあった。そのうち顧問がやってきて譜面台の縁を指揮棒で2回叩くと、夏休みに出場する吹奏楽コンクールに向けての練習が始まっていった。私は管に溜まった唾をハンドタオルに吸わせながらひとり余韻に浸っていた。絆創膏を取り替えてもすぐに血が溢れてしまう傷のように昨日の失恋は依然として生々しく痛んでいたが、その横で今自分は紛れもなく青春の只中にいると実感してもいた。窓の外はまるで忘れ物を取りに戻って来たかのような梅雨雲が広がり、いつの間にか降り始めた糸雨はアスファルトを人知れず濡らしていた。今年の七夕も晴れなかった。雨は私の味方だった。

 今でも七夕の時期が近づくとあの頃のことを思い出す。娘が保育園から持ち帰った笹には先生お手製の彦星と織姫の笹飾りがついていて、娘がそれを指差してパパとママ!と言った。今年もまだ梅雨が明ける気配はなく、見上げた空に重たい雲が低く垂れ込めているのを見つけるとなんとなく嬉しいような気がした。聞くところによると、過去の七夕の天気を見ても大体10年の2回の割合でしか晴れていないらしい。「これはね、彦星と織姫だよ」と娘に教えながら、全然会うことのできない彦星に遠くから想いを募らせる織姫が私なら、彦星はS君の方が似合っていると密かに思っていた。

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