【Step13】「また来たよ」って言える山《編笠山/青年小屋》
僕たちの山の会では夏の富士山が終わったあと、9月になるとある山へ行くことが恒例行事になりつつある。山梨県北杜市の編笠山である。目的は絶景と酒。「山登りなのに酒?」と思うかも知れないが、何を隠そう編笠山の鞍部にある青年小屋と言う山小屋は、別名『遠い飲み屋』と呼ばれて酒飲み山屋達の間ではちょっとしたホットスポットになっているのだ。酒場の山の会としては、飲み屋と言われて行ってみないわけには行かない。そんな軽い気持ちで訪れたのがきっかけだった山は、今となっては「また帰って来たくなる」ほどに大好きな山になった。
編笠山/権現岳概要
【編笠山について】
八ヶ岳連峰(※1)の最南端に位置する標高2,524mの編笠山は、たわやかな曲線を描く美しい山である。その山容がまるで編笠を被せたように見えたことから編笠山と呼ばれるようになったそうだ。山梨県北杜市小淵沢町と長野県諏訪郡富士見町のちょうど境に位置する。八ヶ岳連峰の中でも比較的アクセスしやすく、日帰り、宿泊のどちらでも楽しめる山だ。小屋泊では先述した通り『遠い飲み屋』で一杯やるもよし、またテント泊としても、テン場が広くそれほど混み合わないのでこれからテント泊をはじめたい人にもおすすめだ。
【アクセス】
JR小淵沢駅からタクシーで約20分ほどで到着する観音平が登山口となる。グループ利用で小淵沢タクシーを利用するほか、個人や少人数利用する場合には予約制の乗合タクシーのサービスもある。このマウンテンタクシーを利用すると、観音平までのタクシー通常利用の場合よりも割安になる。
マイカーの場合は観音平駐車場に停める。50台ほど停められる駐車場だが、週末はここに入り切らない車が林道脇に路上駐車してあることもしばしばなので、利用する際には注意が必要。以下北杜市観光サイトのリンク。
【権現岳について】
権現岳は編笠山の先にあるゴツゴツとした岩稜の山だ。双耳峰であり、東峰が主峰となる権現岳で標高は2,715m。西峰がギボシと呼ばれ、ギボシは更に東ギボシ(2,702m)、西ギボシ(2,640m)と分かれる。
権現岳の山頂には二つに裂かれた巨石があり、これが御神体とされてきた。巨岩の下には南向きに石祠が建てられているが、これは檜峰(ひみね)神社と呼ばれ、祭神を八雷神(やくさのいかずちのかみ)※2、岩長姫(イワナガヒメ)として祀られている。
今では八ヶ岳と言えば主峰の赤岳をイメージされる方も多いだろうが、実は権現岳の方がずっと古くから信仰されてきたのだそうだ。
赤岳の開山は江戸時代中期に、長野県の諏訪郡泉野村の東城作明という行者によって開かれた。一方で、権現岳は平安時代に編纂された日本三代実録の中に八ヶ岳権現が貞観10年(868年)に従五位以下の神階を授かったと記述があることから、権現岳は修験場として開かれていたかは別にして平安時代以前から既に信仰の対象であったようだ。
山頂の檜峰神社に祀られているのが八雷神と岩長姫というのが面白い。岩長姫は、富士山の浅間神社に祀られる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉である。この姉妹は古事記の中で瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に二人で嫁がされたが、美人の木花咲耶姫は妻として選ばれ、不美人の岩長姫は結婚してもらえなかったという話がある。後述する『富士山と八ヶ岳の背くらべ』の伝承にもあるように、昔から富士山と八ヶ岳は相対する関係にあったようで、そこに祀られる神様が互いに姉妹だと言うから興味深い。
また、貞観の時代と言えば思い浮かぶのは864年〜866年にかけて発生したとされる富士山の大規模噴火活動、いわゆる貞観の大噴火である。八ヶ岳権現が868年に神階を授かったと言うのも、この噴火活動が関係しているのではないかと推察する人もいる。
人々を不安に陥れた富士山の自然の脅威(木花咲耶姫の怒り?)に対して、それを正面から見ていた八ヶ岳の人々が岩長姫を祀ったのも、因果関係があるような気がしてならない。
山の小話
【富士山と八ヶ岳の背くらべ】
長野県の諏訪に伝わる伝承で、『富士山と八ヶ岳の背くらべ』という話がある。内容はこうだ。
昔々、まだ日本と大陸が地続きであった頃。大平原に一際目立つ二つの山があった。富士山と八ヶ岳である。富士山には女神の浅間さま、八ヶ岳には男神の権現さまがいて、いつも「どちらの方が背が高いのか。」と言い争っていた。
「私の方が高い。」「いや、儂の方が高い。」とお互いにいつまでも譲らない。そこで、二つの山の神様は木曽御嶽山の阿弥陀如来さまにお願いをして、背くらべの判定役をしてもらうことにした。
判定役を任された阿弥陀如来さまはどうしたものかと悩みに悩んで、こう考えた。「二つの山のてっぺんに樋(とい)を渡して水を流すのはどうだろう。きっと水は高い方から低い方へ流れていくはずだ。」
判定の日、大きく胸を張った富士山と八ヶ岳に阿弥陀如来さまは長い長い樋を渡し、水を流してみた。水は富士山の方に流れていく。これで八ヶ岳の方が背が高いことが明らかになった。
この結果に富士山の浅間さまは大いに悔しがった。悔しがって悔しがって、いきなりありったけの力を込めて八ヶ岳の権現さまを蹴っ飛ばしてしまった。天地が壊れるほどの轟音をたてて八ヶ岳の頭は北へ飛んでいき、頭の落ちたところが霧ヶ峰となった。そして八ヶ岳は八つに割れてしまい、これによって富士山よりも低くなってしまったのだそうだ。
編笠山、権現岳で見られた植生
青年小屋
【青年小屋について】
青年小屋は編笠山と権現岳のちょうど鞍部にある小屋だ。編笠山の山頂から下ってきて、遠くに青い屋根の小屋が見えるとホッとする。
青年小屋にお世話になるのは今年で三回目で、僕たちの山の会ではだんだんと常宿として定着してきている。昔ながらの山小屋という佇まいに心が落ち着くのだろう。とかく編笠山といえば日帰り山行の人が多い印象があって、それはそれで良いのだけれど出来るなら編笠山こそ泊まりで訪れたい山だよなと個人的にはずーっと思っている。
【日本一遠い飲み屋】
「編笠山と青年小屋は泊まりで来た方が良い。」
と言った最大の理由は、山で過ごす夜の時間に魅力が溢れているからである。
日本一遠い飲み屋として界隈では有名な青年小屋は、とにかく日本酒の品揃えが豊富なのだ。ご主人が厳選してくれた純米酒が旨い。これを山の上で飲ませてもらえるなんて。僕達が初めてこの山に来てみようと思ったのも、この遠い飲み屋で酒が飲めるというのがきっかけだった。
ただ、僕が思うに、青年小屋の魅力は酒が飲めることのみにあらず。むしろその魅力は皆で過ごす夜の時間にこそあると思っている。なぜなら僕は酒が飲めない。にも関わらず、この小屋で過ごす時間がたまらなく大好きだからだ。
昔懐かしい山小屋で美味しい晩御飯を食べて、皆と山の話をしたり、それぞれの話をしたりする。それだけで楽しい。そこに酒があれば酒飲みたちにとってはなお良い。その『なお良い』を満たしてくれるのが日本酒なのだ。僕は酒は飲めないが、皆と話をしている時間は好きだ。東京で飲み屋をやっているのも、酒や飯が好きだからじゃない。人が好きで、皆が楽しそうにしてくれるからやっている。青年小屋で夜を過ごす皆の姿は、僕が思い描く理想の時間に似ている。だから、また皆と来たくなる。遠い飲み屋は、そういう場所だ。
※青年小屋について調べていたら、丁寧に書かれたサイトを見つけた。ご主人や小屋について興味のある人はコチラを読むとわかりやすい。
終わりに
青年小屋に初めて訪れた日の夜、ご主人と奥様とお話する機会があった時に僕は、「本当は、八ヶ岳の星の下で妻にプロポーズするのが夢だったんですよ。」と話したことがある。そうしたらお二人は「じゃあ今からしておいでよ。」と言ってくれた。その夜の八ヶ岳の空は満天の星空で、僕がやりたかったシチュエーションがあった。ただ一つの後悔は、僕も妻も既に酔っ払ってしまって、その星が満足に見られるような状況でもなかったことだった。結局なぁなぁになってしまって、プロポーズのやり直しをしたかどうか、お互いに記憶が曖昧なまま。今ではそんな笑い話もある僕たちの思い出の山だ。
そんな思い入れのある場所に、皆と来られるようになって本当に良かったと思う。また来年も再来年も、皆と来られたらいいなと思う。山を登ってもいい、登らずにのんびりしてもいい。まるで親戚の家に遊びに帰ってきたかのような、「また来たよ。」って言える山がある。
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