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【Step9】箱根 最乗寺と明神ヶ岳巡り

お店の皆と行く山の企画。6月は箱根、明神ヶ岳へ行く。登山前に大雄山 最乗寺を散策してから明神ヶ岳を登るコース。梅雨に差し掛かり悪天候が心配されたが、何とかかんとか催行できた。緑の深まるいい時期だ。

コース詳細

【集合場所】箱根登山鉄道大雄山線 大雄山駅8:50
バスに乗り最乗寺へ向かい、境内を散策。
奥の院横から山道に入り登山開始した。
登山口(10:00)→鉄塔(10:30)→840m地点(11:30)→明神ヶ岳山頂(12:50)→970m地点(13:50)→明神ヶ岳登山口(15:00)

最乗寺について

山門をくぐると別世界に来たようだ。

 大雄山 最乗寺は曹洞宗の寺院である。曹洞宗の大本山・福井県の永平寺神奈川県の總持寺に次ぐ格式で、この三山をもって曹洞宗の三大名刹とも言われるそうだ。恥ずかしながら、箱根にこれほど立派な山寺があることを僕は知らなかった。山に囲まれた静かな境内を進むと荘厳な本堂が見えてくる。

 最乗寺の建立は応永元年(1394年)で、良庵慧明禅師により開山されたと言われている。地元の人からは古くから【道了さん】との呼び名で親しまれているが、これは開山した良庵慧明禅師のことではなく、その弟子の相模坊道了の事を指して言う。

高橋ガイドによるオリエンテーション

 最乗寺が道了さん、道了尊と呼ばれるようになったのは、この相模坊道了が師匠である良庵慧明禅師が寺を建立する際に駆け付け、怪力を発揮して手伝ったと言う伝承が由来なのだそうだ。道了が良庵慧明禅師をどれだけ尊敬していたかと言うことは、最乗寺のホームページに以下のように紹介されている。

了庵慧明禅師さんが、能登半島の總持寺にいる時に、大きな身体の山伏の格好をした人が了庵慧明禅師和尚さんを訪ねて来て「弟子にしてください」と、お願いをしました。

弟子にして下さいときた人は名前を、相模坊道了といい、奈良県や、和歌山県の山奥で山伏として修行をして、普通の人では出来ないことを身に付けた修験者でした。

相模坊道了さんは、了庵慧明禅師和尚さんを大変尊敬していてどうしても弟子になりたくて、和歌山県の山奥から石川県の總持寺までやってきました。

了庵慧明禅師和尚さんから、お坊さんになる資格をもらい弟子になりました。弟子になった道了さんは、お坊さんとしての辛い、厳しい修行をかさね、更に修行をするために、滋賀県の大津市にある三井寺と云うお寺に入り、山伏の時の経験を生かした修行をして、たくさんのお弟子さんを育てていました。

お師匠さんの、了庵慧明禅師和尚さんが、相模国足柄にお寺を建てることを知り、弟子たちに別れをつげて、山伏の時に身につけた力を発揮して山を越え、野を走り、一日で了庵慧明禅師和尚さんのもとに駆けつけました。

大雄山 最乗寺HP「最乗寺あれこれ」より引用

 最乗寺のホームページを読んでいると色んなことが書かれていて面白い。これを読み込んで、もう一度ゆっくり訪れたくなる。

天狗になった道了さん

奥の院前の天狗像

 最乗寺には至るところに天狗の像があることから、昔から天狗信仰が根付いていることがわかる。その由来になったのは、前述した相模坊道了にまつわるいくつかの伝説なのだそうだ。その一つは最乗寺建立の際に駆け付けたと言う話。もう一つは、師匠である了庵慧明禅師がなくなった際の話である。

①最乗寺建立の際の話
 先に書いた最乗寺ホームページからの引用で「山伏の時に身につけた力を発揮して山を越え、野を走り、一日で了庵慧明禅師和尚さんのもとに駆けつけました。」と書いたが、それとは別に南足柄市のホームページにはこう紹介されている。

了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)の弟子だった道了尊者は、師匠の了庵慧明禅師が最乗寺を建立することを聞いて、近江国の三井寺から天狗の姿になって飛んで来て、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺の建設を手伝いました。

南足柄市ホームページ“天狗伝説の里めぐり”より

 神通力というのは人を超越した力のことを言うが、その能力の一つに自分の行きたいところに自由自在に出現する能力もあるらしい。師匠の最乗寺建立を聞きつけた道了が西国から駆け付け、建設に大いに貢献した様子が人間離れしていた事を人々が尊敬の念を込めて「まるで天狗のようだ。」と、伝説に作り上げたのだろうと思う。

②天狗になった道了
 もう一つは了庵慧明禅師がなくなった際の話。これもさきほど同様最乗寺ホームページによれば、

応永18年(西暦1411)3月27日に了庵慧明禅師和尚さんが75歳でお亡くなりになりました。次の日に道了さんは、私の役目は終わったので、これからは天狗に変身して永遠に、お寺とお参りに来た皆さんをお守りをすると、両手と両足に幸せの使いと云われるへびをつれ、左手に悪人をつかまえる綱と、右手に悪人をたおす杖をもち、白い大きな狐にのり、カミナリが轟くなか山奥に入ってゆきました。

最乗寺ホームページ“最乗寺あれこれ”より

とある。後に道了大権現として祀られる相模坊道了は、こうして人ならざるものに姿を変えて神格化されていったようだ。

天狗になった道了さんの像

 ただ、天狗と言う存在は古来からある鳥型の姿をしたものは戦の凶兆や妖怪として恐れられていたと言う背景もあるようで、その存在がより神様に近いものとして認識されていくのは江戸時代になってからという話もある。最乗寺の神格化された天狗伝説も、そうやって時代が流れていく中で語り上げられてきたものなのだろうと想像した。

明神ヶ岳へ

奥の院から登山口へ入る

 最乗寺から明神ヶ岳に至る古道の入口は、境内奥の院の横手から始まる。奥の院へ続く354段の階段を登って早速ひと汗かく。ここで僕は高橋ガイドと先発、後発隊に分かれることになった。皆は先発隊として先に歩いてもらい、僕はちょっと遅れてくる参加者と後から追いつく予定だ。

 後発隊も間もなく揃って、早速歩き始めた。霧雨程度に降る雨に、蒸し暑さが加わってなんとも歩きづらい。周りはガスって展望もなく、今日の山行はどうだかなぁと少し不安になる。

 そんな僕たちの耳に、遠くで笛の音が聞こえ始めた。どこから鳴っているのだろう。麓で祭りでもやっているんだろうかと話しながら歩いていると、
すぐに音の発信源が判明した。高橋ガイドが尺八を吹く音色だった。そう言えば尺八吹くのが得意だと言ってたな。聞いてはいたが、実際に吹いているのを見るのは初めてだった。想像していたよりずっと上手で驚いたが、それ以上に周りがそんなに興味を示していないのが面白くてつい笑ってしまった。

何となく表情は

 高橋ガイドのタイムマネジメント、リスクマネジメントは素晴らしいといつも感心しているが、それに加えて人を楽しませる人柄とセンスは本当に凄い。この人がいるだけで場が和むので、割と僕はいつもそれを面白可笑しく見ている。

明神ヶ岳に咲く花

ギンリョウソウ
コアジサイ
エゴノキ
フタリシズカ
こっちはウツギかな
ヤマボウシ
ノイバラ

 初夏の箱根は白を中心に可愛らしい花が咲き、見ていて楽しい。今日見られたのはコアジサイだったと思う。同じように山中でヤマアジサイを見ることもあるが、コアジサイはヤマアジサイの様な装飾花(周りの大きな花弁)が無いそうだ。ちょこんと咲いたコアジサイも可愛い。
 山頂付近には、もうフジアザミの葉が茂っていた。次は気が付いたらアザミの季節になっていたりして、あっという間に季節が移り変わっていくなとか言うのだろうなと思った。

山頂から宮城野へ下山


生憎のガス模様

 明神ヶ岳は標高1,169mの山で、箱根古期外輪山の一峰に数えられる。箱根古期外輪山とは、鍋底状の箱根カルデラ地形を縁取る峰々を指す外輪山の事で、その中でも比較的古く50万年前の火山活動によって作られたものなのだそうだ。
 今回は全く眺望を臨めなかったが、山頂の広さや展望の良さが魅力で、箱根の山だと金時山に次いで人気の山だという。
①道了尊から明神ヶ岳の古道を辿るコース
②箱根湯本から塔ノ峰を経由するロングコース
③明神ヶ岳から金時山への縦走コース
とコースも様々で、初心者から経験者まで楽しめるのも、多くの登山者で賑わう理由の一つである。

 山容はカヤト(ススキやカヤ等のイネ科植物から成る原っぱのこと。茅で覆われている尾根や山腹の意)で覆われていて、稜線歩きはどこか高原歩きを感じさせてくれて気持ちが良い。

 昔は箱根峠を越えるためには、現在の明神ヶ岳の南斜面に名前が残る碓氷峠を通る道が使われていたそうだ。現在の南足柄市の中心の関本から明神ヶ岳を越えて宮城野へ下り、そこから早川の峡谷を明神ヶ岳中腹を巻く碓氷峠で回避して仙石原へ出て乙女峠を越えていくと言うのだから、なかなかハードな道程だ。そうした困難な道のりだったこともあって、旅人の安全を祈るために山頂に明神様を祀ったのが、明神ヶ岳の由来なのだそうだ。

下山途中、ガスが晴れて宮城野方面がよく見えた。

 また、道了尊から明神ヶ岳を経て宮城野へ下る道は、参詣道でもあり、集落をつなぐ生活道でもあったのだと思う。こうやって道を歩きながら、古の人々の暮らしを想うのも低山ハイクの楽しみの一つでもある。下りは雨に濡れた岩と滑りやすい道に注意しながらもところどころ談笑する余裕を持ちつつ、15時に全員下山した。

総括

今回も良い山行だった。

 梅雨時期の箱根をどう楽しむか?と言うことが自分の中でのテーマだったが、最乗寺の歴史勉強や明神ヶ岳の地形、そこに咲く花々と、調べていくとなかなかスケールが大きく良い山行だったと思う。一度だけでは学び切れない山のことも、一回一回の山行ごとに少しずつ知っていくことで学びも積み上げられて行くだろう。次来た時はきっともっと楽しい。少し涼しくなった秋頃にでも、また足を伸ばしてみたいと思える山だった。

 もちろん、この後は皆で打上げをした。今回は小田原の街で。そう言うお楽しみも、忘れないようにしたい。

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