《step2》三浦アルプス(02/12)
お店の皆と行く山の企画、今回は神奈川県三浦半島を縦横に走る三浦アルプス山行。昨年に続いて第二弾である。冬の低山はやはり良い。
山域紹介
三浦アルプスの地形
神奈川県の東端に位置する三浦半島を縦横に走る山域は、三浦アルプスと呼ばれて親しまれている。最高地点でも茅塚(214m)と決して標高は高くはないが、起伏に富んだ尾根道や秘境感漂う沢筋、知る人ぞ知る藪ルートなど変化に富んだ地形は人気の高い山域だ。
三浦アルプスの地形は主に北脊梁と南脊梁に大別される。それぞれ西から見た時に、北脊梁は阿部倉山(156m)から下二子山、上二子山(207m)を通って北尾根、東尾根を経由して乳頭山(202m)に至る。南脊梁は仙元山(117m)、戸根山(189m)から観音塚、南尾根を通って乳頭山(202m)へ続く。
※乳頭山から東に畠山(205m)へ至る道もあるが、大きく分ければメインルートは北脊梁と南脊梁の2つで良いと思う。
北脊梁と南脊梁に挟まれるように流れる川は森戸川である。森戸川は南アルプス山域の中ほどで南沢、中沢(うなぎ淵沢)、北沢(小附沢)に枝分かれする。この辺りを森戸川源流域と呼ぶが、迷い込むと遭難しかねないので処々に注意喚起の看板が見られる。
山行計画
昨年は京急田浦駅→田浦梅林(入山)→乳頭山→観音塚→仙元山を経て逗子方面へ下山する南脊梁を歩いたが、参加してくれた皆さんの反応も素晴らしかった。今年は昨年とはルートを変えて北脊梁を中心に歩く。
《山行計画》
安針塚駅→十三峠→畠山→乳頭山→南中峠→林道終点→上二子山→下二子山→阿部倉山→下山
標高こそ高くないものの、小刻みにアップダウンが続く良いルートのようだ。南中峠から林道終点まで中尾根を下ると、森戸川源流域も歩ける変化に富んだコース。いつも通り山歩塾の高橋ガイドにリードして頂きながら歩く。
山行記録
安針塚駅〜畠山
京急安針塚駅から畠山への道は、閑静な住宅街を抜けて民家の裏山から入っていく。“安針塚”という言葉が聞き慣れないが、あんじんづかと読むこの地名は人名に由来している。これは江戸時代に徳川幕府に仕えた三浦按針というイギリス人の和名だ。本名はウィリアムアダムスと言って、砲術、造船術、航海術等の西洋文明を伝えた人物と言われている。
十三峠を過ぎると、三浦アルプスらしい鬱蒼とした山道に入る。やや急坂を登れば間もなく畠山に至る。
畠山重忠と三浦一族(山の小ネタ)
高橋ガイドの歴史紹介にもあったが振り返り。
標高205mの畠山は、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した畠山重忠が、衣笠城合戦(1180年)の際に陣を敷いたことに由来している。衣笠城合戦は源氏と平氏の戦の時代に、武蔵国の畠山重忠と源氏方の三浦一族の戦いの物語。簡単に紹介したい。
この衣笠城合戦で畠山重忠は三浦大介義明を打ち取り、後継の三浦義澄は敗走することとなった。その背景には三浦義明の思惑があった点が感慨深い。
当時、三浦義明は89歳だったこともあり、義澄らを説得する際に「老命を頼朝に投げうち、勲功を募らんと欲す」という言葉を用いた。自分の命を差出し、子孫のために見返りとして頼朝に恩を売るという考えがあったのだ。その後三浦義澄は安房国へ逃げた源頼朝と合流して体制を立て直し、平家打倒に尽力した。結果源頼朝は平家を滅亡させ、鎌倉幕府を樹立。義澄も要職に重用されたことを思えば、衣笠城合戦での三浦義明の自己犠牲の決断は子孫繁栄に繋がった歴史のターニングポイントだった。
畠山重忠は源平合戦後に源頼朝に寝返った点で三浦氏との禍根を残したのだろうが、畠山重忠にも物語がある。今回は三浦方の視点で物思いながら歩くのも良いものだと思う。
乳頭山〜上下二子山
乳頭山から二子山までの道は、前半下り基調、林道終点まで降りてからは少しの沢歩きからの登り返しとボリュームがあって面白い。尾根からはずっと海が眺められるのも気持ち良い。先月の鋸山と言い、今回の三浦アルプスと言い、冬の空気が綺麗な時期に海も山も楽しめるのは何だか一石二鳥に思えて得をした気分になる。“街が見える”というのも良いものだ。
僕のことを言えば、自然の中にあって人の営みを遠目に眺めるのが好きだ。「向こうは日常、こちらは非日常」と言えば良いのだろうか。僕は観察者で、少し離れたところから様子を見ている。気が済むまで良い景色を眺めて、気が済んだら歩きだすくらいの気ままさ。あっちとこっちの境目がはっきりしていればしているほど、自分が別世界にいる気になる。かつて遠い昔は三浦アルプスの山々は人の生活道路だったようだが、昔の人はどんな想いでこの山を歩いたのだろうか。とか考えてしまう。
林道終点にあたる森戸川源流域まで下ると、辺りは木々に覆われて薄暗ささえある。尾根上ではあれだけ良好だった携帯電話の電波もいつしか届かなくなった。各人それぞれキャリアも様々だが、全員が電波が無いねと言う。ここから登り返しまでは少しの間沢歩きを楽しめる。
高橋ガイドのミニ講習としては、今回の山歩きのテーマは“道迷いについて”だった。道迷いは、沢の様な周囲の状況が分かりづらい、また落ち葉が多くて踏み跡が明瞭でない所で起こりがちである。低山で道迷いや遭難が頻発するのは、視界の良い高所が少ないからという理由もある。まさに今回のような場所は道迷い講習をするにはうってつけだ。
「あれ?こっちの道で良かったかな?」と高橋ガイドが言う。全員が立ち止まる。雰囲気がざわつく。経験者の人は直ぐにYAMAPの地図を取り出すが、GPSも電波が悪いからだろうか、いまいち現在地と進行方向が釈然としない。「ちょっと引き返して見てくるね。」と高橋ガイドが確認する動きを見せたので、僕は「じゃあ僕は反対を見てみますね。」と反応する。全員で一斉には動かず、大きな動きはせずに先ずは周囲を確認することが大切だ。
進路は状況確認で直ぐに見つかった。重要なのは、まず落ち着いてむやみやたらに動かないこと。ソロ登山の場合は、迷ったと思ったら引き返して確認すること。チームなら役割をはっきりさせることだと思う。むやみに歩き回ると体力は消耗するし、位置感覚もわからなくなる。
そしてもう一つ大切なのは、「迷ったかな」という瞬間の心のざわつきを覚えておくこと。不思議と感じる違和感の感覚を知っていれば、次同じことが起きた時に体も心も同じ様に反応してくれる。
上下二子山〜さくらテラス〜下山
下二子山から下って登ってを乗り越えれば阿部倉山に辿り着く。ここまでは眺望があまり良くないが、この先のさくらテラスまで進めば絶景が待っている。相模湾に浮かぶ江の島と、その向こうの富士山を直線で結ぶロケーションは三浦ならではだが、昨年の仙元山から見た景色とはまた違う良さがある。
三浦アルプスの良さは、三浦半島の横断を経て東京湾から相模湾へと移り変わる景色にもある。人工的、工業的に見える東京湾の風景から西に移るにつれて山が増え、高い建物が消える。日本の地形と人の生活の違いがこれほどはっきり見て取れる山は多くないはずだ。先述の通り僕自身が風景に人の暮らしを重ねて見るのが好きだから、これを見るために三浦アルプスへはまた何度も訪れたくなる。
山行後の打ち上げ
逗子駅近くの居酒屋にて
下山後にはいつものように居酒屋へ直行する。今回はJR逗子駅、京急逗子・葉山駅いずれからも徒歩5分のところにある【鉄板焼き居酒屋 山や】さんに伺った。古民家を改装した懐かしい雰囲気の居酒屋で、同じように古民家で日本酒やをやる僕としてはどこか安心した気持ちになる。地域食材や地酒も取り扱っている地元の名店なのだろうなと感じた。
オススメの料理は刺身盛り合わせやとん平焼きなど、ジャンルも幅広くて一度来ただけでは全て味わい尽くせないのも嬉しい。また三浦アルプスに来たら呑みに来なくては。
祝日の早い時間から大人数ということでお店にはご負担おかけしただろうが、お陰さまで全員が凄く楽しめた。やっぱり下山後の酒は欠かせないよな、と思う。このために皆今日もよく頑張った。
来月は埼玉県の秩父方面を予定している。次回は酒蔵も混ぜられるかなと、色々企画を考えたりするのも楽しいものである。