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テスト監督という最難関

先週、テスト監督をするコマがあった。
模試とか、丸一日のテストとかそういうものではなく、ただ授業についてこれているかを復習するような45分間のテスト。

テスト監督だと、こちらで授業の内容を準備したりする必要がないので、こちらとしては比較的気が楽だ、なんて思いがちだが、残念ながらこれは間違っている。

テスト監督に入る者が戦わなければならないものは多い。
当たり前のように横行するカンニングは、チラ見どころではなく左右や目の前、斜め前あたりまでガン見している。
なんなら見られる側も、巧みにスッと答案をずらし、見せている。

そして相次ぐ物の貸し借り。
テスト中に「消しゴム貸して」と隣の人に話しかける学生を初めて見たときは、あまりにも堂々としたやり取りだったのでこちらの常識が若干揺らいだほどだった。

そしてテスト終盤に差し掛かり、集中力が切れてきたころのシンプル私語。
なんなら監督している私にも「ちょっと難しすぎますね~」「全然わからないのでもう疲れました」とか話しかけてくる。
テスト中にこんな和やかな雰囲気になることってある?

そんなわけで授業のスケジュールが発表され、確認しているとき、
テスト監督に自分の名前が入っていると、心の中で一瞬緊張が走る。

テスト中にクラス内で不法行為が横行するのは正直ちょっと面白いけど、
残念ながらだいたいのテストは個人の言語知識への理解を測定しているものなので、周囲とコミュニケーションを取られるのは不正と呼ばざるを得ない。

グループで取り組む課題を評価する形式のテストなどもあるし、周りとコンタクトを取ることそのものが悪というわけではないんだけれど。

しかしなぜこんなことが起きるかというのは、
受けてきた教育的背景の違い、テスト文化の違いにある。

「授業というのは先生の話をたくさんの学生が静かに聞いているもの」
「テストというのは一人だけで解かなければならない(そうしなければペナルティを受ける)もの」
こういった感覚は、そのような学校教育システムの中で育ってきたから共通して持っているものであって、こういうところにも文化の違いはある。

ある国では、テストであろうともとにかくクラスメイトや友人と助け合うこと、わからないときはお互いに答えをシェアし、とにかく解答用紙に正しい(と思われる)答えを書くことが是とされているとも聞いたことがある。

そのような文化で子どもから大人までの時間を過ごしてきた人たちに、もしこちらが、自分が持っている教育についての文化と違うからと頭ごなしに否定し、怒ったり罰を与えたりするなどの反応を示したとして、学生が「なぜここまでネガティブな反応を受けているのかわからないが、怒っているので理由を訊けない」と思われてしまってはお互いに損をする。

かといってあなた方がそうしたいならどうぞ、としていてはこの先日本でテストを受けるたびにトラブルを起こしてしまうので、
日本ではこのようにテストを受けてください、とその都度面倒がらずに伝えていくしかない。

テスト以外でも、「教育の文化の違いだなあ」と感じることは多々ある。

例えば挙手するときの手の形(拳派の人もいるし、人差し指だけをピンと立てたナンバーワン状態の人もいる)だとか、
授業中の飲食の可否(私が見つけたのは、とても温厚な性格で成績も優秀なエリート的留学生が授業中にガムを噛んでいた)とか。

ここで私が「違うなあ」と感じるということは、
もし私が外国に出て私としては普通の態度をとっていても「違うなあ」と思われる可能性があるということだ。

日本の日本語教育現場にいる限りマジョリティに属することになるけど、
この視点は忘れてはいけない。


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