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小椋 杏
2020年8月18日 21:40
そのままの自分を曝け出して生きている人間なんて、この世にはほとんどいないんじゃないかなぁ、って思う。 十四年しか生きていないボクだってそうだ。 ボクはきっと普通じゃないんだな、って気がついたのは、小学校の高学年になった頃だったと、思う。気がついたけど、誰にも言えなかった。言いたくなかった。 言ったところで、多分誰も解ってはくれないような気がしたから。どれほど言葉を尽くしても、どれほど時間を
2015年5月14日 11:05
クリーム色のカーテンの隙間から零れる朝日は、喜びに満ちて輝いていた。だがその輝きさえも、寛子には酷く薄っぺらで白々しいものにしか感じられなかった。「午前七時三分です――」 憔悴しきった声で告げる壮年の医師の額には、ほつれた前髪が張り付いていた。それがいっそう疲れた雰囲気を作り出している。 手を尽くしてくれたことは、ちゃんと解っていたつもり。でも、やっぱり思う。どうして、助けられなかったの―
2015年5月2日 16:03
カーテンの隙間から陽射しが零れている。蜜季(みつき)は何気なく目覚し時計に視線を投げて、それからほうっと時間をかけて深呼吸した。七時三分。まだ、こんなに早い。 昨夜は――正確には、今朝、かもしれない――遅かったから、絶対にいつもの時間に起きられるはずはない、と思っていた。でも、それでいいと思った。だから、目覚ましのセットもせずに、ベッドに潜り込んだのに。 朝って、ちゃんと間違いなく、狂いなく
2015年3月23日 01:59
どうして、あたしは立ち止まったんだろう? 自分でそんなことを考えながら、あたしはただ、駅前の植え込みの陰で歌う彼を見ていた。 やっとの思いで仕事を終わらせたあたしは、たった今、最寄り駅から出てきたところだ。何とか潜り込んだテレビ局の、ADのアシスタントみたいなことをしながら、必死に生きる毎日。夢は――いつかプロデューサーになって、小さな日常を丁寧に追いかけたドキュメンタリーを作ること。平凡と
2015年3月17日 11:49
……ん? ああ、いけない。 いつの間にか眠っていたらしい。もうこんな時間か……。 よ……っと。年を取ると椅子から立つのも億劫になったなぁ。よっこらせ、と。 寒さが一段と身に染む季節になったなぁ……。 あれ? お客様ですか? すみませんね、もう仕舞いなんですよ。それにあなたのような若い娘さんがお探しのものは、ウチにはないと思いますけどね。ええ? またまたァ。お世辞はいけませんよ。 あ
2015年3月9日 19:54
ベランダの手すりに身を乗り出して、希和美(きわみ)は一心に満月を見つめていた。満月が綺麗な夜だもの、絶対にあいつはここにやって来る――そう自分に言い聞かせながら、じっと月に見入る。月は太陽ほどに強い光を放つわけではない。それでも目の奥がじんわりと痛くなってきて、希和美は瞼を閉じて目頭をきゅっと、強く押した。 そして再び満月を見る。 だって、約束したから――絶対あいつは来る――何度も何度も希和
2015年3月7日 06:04
ボクはどうしてもブランコに乗りたかった。 でも、みんな順番だから、って、並んで待っていたんだ。ちゃんと並んで待っていたボクの目の前で、ブランコに乗っていた女の子が、ぽん、と降りた。 やったぁ。 ボクは心の中でそう叫ぶと、ブランコに駆け寄ろうとした。駆け寄ってそして、鎖を掴もうとした瞬間の出来事。「かりんが乗るのー!」 大きな声がしたかと思うと、一人の女の子が駆け寄ってきて、ボクの手の先
2015年3月7日 05:50
土曜日には小ぢんまりとした花束を買うのが、すっかり習慣になってしまっていた。わたしは今日も、あなたを想って花束を買う――。「いらっしゃい。今日は何にします?」 顔見知りになってしまった花屋の娘さんは、屈託ない笑顔を浮かべる。それにつられるようにわたしも軽く笑んで見せて、それからそっと、顎に手を沿わせる。何かを考えるときのわたしの癖。それをからかうあなたを急に思い出して、反則だ、とわたしは
2015年3月7日 05:32
学校から帰ってくると、嬉しそうな顔をリビングから覗かせて、ママがあたしを呼んだ。あたしは部屋に向かいかけた足をリビングに向けなおして、ママのところまで行く。「何?」 あたしはちょっと面倒だったけど、ママに尋ねてみる。ママはにっこりしたかと思うと、あたしの鼻先に手を突き出した。「じゃーん!」 正確には、あるものを握り締めた手を、と言うべきだろうか。ママの手の中には、桜色をした、小さ
2015年2月26日 03:24
身体の自由が奪われれば奪われるほど、心は自由に大空を翔けた。 私はそんな時、声を限りに歌い続けた。朝も、昼も、夜も。 私の歌声は格子のはめられた窓を通り抜け、高く響き、低く唸り、多くの人の耳に届いたという。ある人はぼうっとした様子で私の歌声に耳を傾け、またある人は落涙とともに私の歌声を聴くという。だが私には、そんなことは関係なかった。心が自由に求めるままに、歌って、歌って、歌った。
2015年2月26日 03:18
大きな木に身体をもたせかけて、生い茂る茨の隙間からわずかに覗く青い空を、ラナは見るともなく見ていた。ここに来てからもうどれくらい日が経ったのか、それすらラナには解らない。空腹も度を越して、何も欲しいとは思わなくなった。ただ、ひどく喉が渇いていた。 ぼんやりとした頭で、ここに来てから何度となく考えていたことを、ラナはまた考えだした。考えたからとて答えが与えられるわけでもないのに。それでもラナは
2014年9月8日 12:30
深流(みる)は大きな窓辺に座って、ぼんやりと外を眺めていた。 いつか、ここから誰かが助け出してくれる、そう信じていられたのも、うんと幼いころだった。 十五歳になった今では、もうそんな空想に耽っていられるほど、子どもではいられなかった。あと半年もすればここを出て、次には身障者用の施設に入所することになるだろう。「深流」 呼ばれて、深流は振り返る。はっきりとは見えないが、淡いピンクの服を着た
2014年9月8日 12:39
じとじとと雨が降り続いた夜のことだった。 週の頭に、もうそろそろ梅雨が明けるだろう、という予報を聞いたと思ったが、その週は見事に梅雨前線に支配されていた。 ざっ、と一時に沢山の雨が降るわけでもない。周期的に降ったり曇ったりするわけでもない。本当にじとじとと、細かい雨が静かに静かに降り続いた。朝も昼も夜も、ずっと。 仕事が長引いて、やっと会社を後にしたのは八時半を回ったころだった。週末だと
2014年9月8日 12:42
人気のまばらなホームのベンチに、ぽつんとひとり座っている少女がいた。 年齢は十歳くらいだろうか、帆布でできたデイバッグを背負い、腕にはB4サイズの厚手のスケッチブックをだいじそうに抱えていた。首からペンダントのようにボールペンをぶら下げて。 喫煙所を探しながらホームをうろついていた孝輔は、何だか不思議な空気を身にまとうその少女に、一瞬だけ気を取られた。が、すぐにホームの端にある喫煙所に目をや