光を浴びて
クリーム色のカーテンの隙間から零れる朝日は、喜びに満ちて輝いていた。だがその輝きさえも、寛子には酷く薄っぺらで白々しいものにしか感じられなかった。
「午前七時三分です――」
憔悴しきった声で告げる壮年の医師の額には、ほつれた前髪が張り付いていた。それがいっそう疲れた雰囲気を作り出している。
手を尽くしてくれたことは、ちゃんと解っていたつもり。でも、やっぱり思う。どうして、助けられなかったの――と。
全身に痛々しい傷跡がたくさん残っていて――実希子はまるで別人だった。笑うとくっきりと浮かぶえくぼが可愛い、とても優しくて、頼れる親友。その実希子を、寛子は今、失ったのだ。
実希子の傍で悲しみに崩れ落ちた実希子の母の姿を、人目もはばからず涙を流す実希子の父の姿を見ていられなくなって、寛子はふらふらと病室を出た。帰り道で一緒だった寛子はかすり傷程度ですんだのに、どうして実希子が――。誰も何も言わなかったけれど、寛子はそう責められている気がしてどうしようもなかった。
「どうしてあたしじゃなかったんだろう――?」
あてもなく病院内を彷徨いながら、寛子は何度も何度も何度も呟いた。呪文のように繰り返してみても、現実は何も変わりはしない。時間の感覚もなくなっていた。勝手に涙が流れた。悔しかった。
「俺がパパだぞー」
不意に寛子の耳に、若い男性の声が届いた。どこをどう歩いたのか、寛子は新生児室の前に立っていた。手の甲で少し乱暴に涙を拭いた。若い男性は寛子に気づいた様子もなく、硝子窓にへばりついて新生児室の中を見ている。たまにもれる呟きに、本人も気がついていないようだった。
寛子は男性の視線の先を辿っていた。小さな赤ちゃんが並んでいる。すやすや眠っている子もいれば、眉間に皺を寄せて、今にもぐずりだしそうな赤ちゃんもいる。男性が見ている赤ちゃんは、どうやらまだ生まれたばかりのようだった。
赤ちゃんの足元に取り付けられた札に「桜井ベビー」と書いてある。女の子。身長と体重。そして――出生時間。寛子の視線は、そこで止まった。
七時三分。
ああ、なんてことだろう。
寛子は深く息を吐いた。
実希子が逝ってしまったのと時を同じくして、生まれてきた子がいるなんて。
それは酷く残酷な現実だった。心が悲鳴を上げた。硝子窓にもたれたままで、ずるずると寛子の身体は崩れた。
寛子は辺り構わず泣き喚いていた。いろんな気持ちがぐしゃぐしゃになって、泣くことしか出来ない。ただ、泣いて泣いて泣いていた。廊下から溢れるほどに差し入る朝日は、ここで眠る赤ちゃん達をその暖かな懐に抱いているように見えた。
今、この瞬間にも、生まれる人がいて、死ぬ人がいる――。
そんな当たり前のことを、寛子はたった今、痛烈に感じていた。そして唐突に思った。
実希子が逝ってしまっても、こうして時は過ぎてゆくんだ――。
僅かに顔を上げると、朝日の中に実希子の笑顔が浮かんだ気がした。また涙がせりあがってきて、実希子の面影が揺らめく。
温かな朝日が寛子の身体を撫でる。それはまるで実希子の掌みたいだった。
ああ、実希子。
寛子はその温かさに身を委ねた。実希子はもういない。それは解っている。でも、こうして朝が来て、日が暮れて、夜になって――また朝が来て。
あたしは、生きていくんだ。
世界にたった一人取り残されたような孤独と辛さが、急に寛子を包んだ。それでも、寛子は思った。
あたしは、生きていくんだ――こんな風に光を浴びて。
寛子は顔を上げて、窓から全身に朝日を浴びていた。
どこか遠くで、実希子が笑った。負けないで――そう言われた気がして、寛子はしっかりと立ち上がった。まだ、涙は乾かない。それでも、なお。
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