父と母と、それから私
私の両親は教師だった。
教師、という言葉から連想されるイメージとは程遠い、型破りな教師だった。
まずは母。
銚子の酒屋の娘として生まれた母は、高校生の時に大きな病気をし、手術と入院のため1年留年した。
大学で薬剤師の資格を取得し、途上国で医療従事しようと考えたが、持病のため難しいことがわかり、薬剤師として就職活動を始めた。
東京の大きな病院の最終面接で、今までの最大摂取酒量を聞かれ自信満々に「一升二合です!」と答え、もしこの病院で働けた場合の満足度は何%ですかと聞かれ正直に