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【読書感想】解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯

先日Podcastを聞いていて、「ジョン・ハンター」という1700年代のイギリスに実在した医者のことを知った。どうやら死体を切り刻む趣味を持ち、有名な小説「ジキル博士とハイド氏」のモチーフになった人物らしい。

…かなり風変わりな人のようだ。

ということで、がぜん興味を持ち、早速彼の人生を描いたという本を読んでみたところ、想像以上に衝撃的な内容が詰まった本だったので、印象に残ったことのいくつかを書き残しておく。
※なお、鉤括弧で括る言葉は書籍からの抜粋となる。


解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯
(2007年初版発刊、著書:ウェンディ・ムーア、訳者:矢野真千子)
【原題】The Knife Man
The Extraordinary Life and Times of John Hunter, Father of Modern Surgery.


どきっとする表紙絵

表紙絵は、本をぱらりとめくって最初にある口絵にも見やすい形で掲載されているけれど、そのキャプションはこちら▼

子宮内にいる出産直前の胎児。ジョン・ハンターが解剖したものをヤン・ファン・リムダイクが描き写し、ウィリアム・ハンター著「ヒト妊娠子宮の構造」に掲載された。
口絵より

詳細は書籍内にて語られているが、ジョン・ハンターが出産直前に急死してしまった女性を解剖し、それを見ながら画家が描いたものとのこと。
本当に女性の身体が一部がこのように解体されたのだ、というリアルさがまざまざと伝わってくる。
写実的であるものの、イラストだから辛うじて細かい部分まで見つめることができ(これが写真だったら絶対に目を背けてしまうだろう)、恐ろしくも神秘的で思わず見入ってしまうこの絵には、絵画とは違う魅力を感じた。
中身まで読んでとは言わないので、ぜひ表紙だけでもみてほしい。

絶句してしまう18世紀の手術の実態

さて、本の中身に入っていくと、第1章は膝に腫れ物ができた男の描写から始まる。

ずきずきする痛みが絶え間なくつづき、今では痛みのため歩くのさえやっとの状態だ。(中略)足は醜くふくれあがり、皮膚はまだらの茶褐色に変わっていた。
第1章 13ページ

彼はこのまま苦しみ悶えながら死ぬか、「脚を膝の上でばっさり切断する」という手術を受けるかを決めなければならない。
そしてこの過酷な手術を受ければ助かるという訳でもなく、
「麻酔や消毒剤が登場するのは百年先というこの時代に」
「手術台の上で痛みの衝撃に耐えることができ、出血多量を起こすことがなく、術後に不潔な病棟で感染症にやられなければの話だが。」
というむごい条件が付く。…壮絶だ。

そんな「ロンドンの外科医の大半が大昔から進歩も改良もない両刃刀とノコギリをふるうなか」、ジョン・ハンターは自分の信念を貫いていた。
生物の自然治癒能力を信じ、伝統的な(そして現代の視点から見ると患者にとって害悪でしかない)治療ではなく、自ら行った推論・観察・実験に基づいた外科的処置を行ったのだ。

本の中では当時のむごたらしい施術方法と、その惨憺たる手術を避けるべくハンターがどのように処置を行なっていたのかが克明に記載されており、一度読んだらジョン・ハンターを好きになること間違いない。(多分)

1700年代初頭のイギリスにおける医療の概念

第2章では当時の医療概念についての記載がある。

オックスフォードやケンブリッジ、その他ヨーロッパ各地の大学を出た医者ですら(中略)大昔の教義にしがみついていた。
それは、紀元前五世紀の古代ギリシャに生きた医学の父ヒポクラテスの唱えた「あらゆる病は、血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁の四つの体液の不均衡によって起きる」という教えだ。
医者は(中略)患者が痛みや不調を訴えている部位を調べるということはまずなかった。そして治療は「体液の不均衡をもとに戻す」目的の薬だったり、浣腸剤だったり、瀉血だったりした。
第2章 39ページ
そんな治療が穏やかなはずがない。少なくとも、患者がお金を払う価値があると思えるほど過激でなければならない。
患者はよろこんで毒でできた霊薬を飲み、背中に熱いガラスを押しつけさせて火ぶくれを作り、意識を失うほど血を抜かせた。
第2章 39ページ

これだけでも、現代の視点からみれば目がくらくらしてしまうような実態だけれど、これに続く内容も私は知らなかった。

人の肉を切ったり触ったりする不浄な仕事は、別の職業、すなわち外科医か床屋にゆだねられた。髪を切ったりひげを剃ったりする仕事の副業として瀉血をやることを看板にした。床屋外科医という職業もあった。そもそも外科医という職業が世間で確立されるまで、床屋が外科関連の施術をしていた。
第2章 40ページ

なんと、外科医は医療業界の中でも卑しい職業とされていたのだ。
しかも床屋の副業のような扱いだったとは…。
(当時の日本はどうだっただろうか、後で調べてみたい)

それにしても、二千年以上前の考え方を今も正しいと世間が信じ、効果の無い(そして苦痛が伴う)治療をありがたがって受けていたという歴史的事実に恐ろしさを感じる。

今だってもしかすると、意味の無い不快なことを『これが正しい』と偉い人が断言し、それを多くの人が無条件で信じ込み、私財をなげうったり、あるいは正義を振りかざして他人に強制させていたりするかもしれない、なんて私は思う。

なお、本の後半には、彼が解剖や化石収集を通して気づいたこと(人間はサルから発展したのではないか、地球上には数十万年前から生物がいたのではないか等)が触れられているが、今は事実と捉えられているそのようなことも、聖書の教えと内容を異にするため当時の知識人から徹底的な批判を受けた。1780年代のことだった。
彼は1793年に亡くなったが、彼の当時の考えはチャールズ・ダーウィンが1861年に『種の起源』を出版して初めて日の目を見ることになった。

こういうことは、今もまさに繰り返されているのかもしれない。

ジョン・ハンターの教え方

彼の晩年に先に触れてしまったが、少し時間を戻す。

革新的な外科医のジョン・ハンターは徐々に名を馳せるようになった。
40代になると多くの外科実習生がその教えを請いに集まってきたことから、彼は実習生向けの講座を行うようになる。

彼の教え方が分かる言葉を少し。

私は自分の講座を、毎回おなじ内容を一方的に伝えるものにするつもりはない(中略)私は、自分の目からこれが生命の基本原則だと思えるものを、その時々で紹介してゆく。そして諸君には、すでに分かっている事実と比較したり、推論するという姿勢を要求する。
第11章 222-223ページ

また、二期連続で受講した生徒の一人から「去年と言っていることと違う」と非難されたときの返答▼

そうだろうとも。私は年々賢くなっているからな。
第11章 223ページ

文章を書くことが苦手だった彼に、「先生の理論を文章で書き残したものはないか」と言われた時は▼

私が過去に言ったことや書いたことについては質問しないでくれ。現時点での私の考え方を知りたいなら、いますぐここで語ってやろう
第11章 223ページ

私が学生だったら、こういう物言いをする先生を好きになっていたと思う。

彼がどのように教えていったか、そしてどれくらい魅力的だったかは、実際に本を読んでみないと伝わらないと思うけれど、彼の講義の基本モットーは次の通りだ。

ハンターの目的は、彼の講義を聴きに来る若い外科医に「理屈を考えさせる」ことだった。治ることが立証されていない治療法を、昔からだれもがそうしているというだけで信じるのではなく、すべて疑ってかかって徹底的に調べ、理論的に説明できるようすべきだというのだ。つまりは、外科を科学のレベルにまで引き上げようとした。
第11章 227ページ

こういう情熱を持った人に私もなりたい。

最後に

ジョン・ハンター自身、魅力的な人間であり、多くの愉快で目を引くエピソードを持っている。
それに加え、この本では平凡な日本人が知る由もない当時の医者の実態や歴史的な事実を細かく調べたうえで物事が記述されているため、「へえ、そうなんだ!」と思う内容が凝縮されており、どんどん読み進められる。

ページ数は少なくないし、痛々しい描写も多く、さらに性病の描写もあるので読む年齢は少々気を遣うかもしれないけれど、それでも読む価値のある一冊だと思う。

水族館にて(ジョン・ハンターは生き物を観察することが好きだった)


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