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冒険と読書

昨年5月より「冒険研究所書店」を開設し、おかげさまでたくさんの取材などをしていただいた。

取材となると、インタビューを受ける訳だが、まず100%聞かれるのが「なぜ書店を始めようと思ったんですか?」というものだ。冒険家が書店を始めた、というのが皆さん相当に疑問のようだ。

例えば、私がもともと出版社に勤めていて、会社を辞めて書店を始めました、という人物であれば、おそらくここまで「なぜ書店を始めたんですか?」とは聞かれないと思う。きっと、出版社から脱サラして書店を始めたということであれば、みなさん「そうなんですね」で終わるのではないかと思う。

出版社と書店は存在として近い。しかし、冒険家と書店は距離的な遠さを感じるので「なぜ」という疑問が起こるのだろうと思う。

しかし、当の私の中では「冒険と読書」というのは極めて近い存在だと思っている。いや、確かに表面的には遠いかもしれない。でも、全く同一の営みだと思っている。

例えて言えば、冒険と読書は、冒険が西、読書が東である。それぞれ向かう先は正反対であるが、それぞれがずんずん進んでいったら地球の反対側で出会った、みたいなものだ。結局は同一になる。

ここで考えるためのキーワードとして、一つの言葉を引用したい。それが、極地探検記の古典にして名著である「世界最悪の旅」の中にある有名な一節だ。

「探検とは、知的情熱の身体的表現である」

今から100年ほど前、英国の極地探検家アプスレイ・チェリー=ガラードは人類未到の南極点探検隊の一員として南極大陸に向かった。チェリー=ガラードが参加した英国海軍の軍人であるスコットを隊長としたスコット隊は、全く同時期にやってきたノルウェーのアムンセン隊と南極点人類初到達を争ってレースの様相となる。チェリー=ガラードは後方支援隊員として拠点基地に残り、英国スコット隊は5名が南極点に向かって進行。苦難の末に南極点に到達したスコット隊が見たものは、一ヶ月先んじて南極点到達を果たしたアムンセン隊が極点に残したテントとノルウェー国旗だった。初到達の栄誉を奪われ、敗北を知ったスコット隊は失意の中で帰路につく。しかし、帰路も困難を極め、スコット隊5名は全滅、全員死亡の悲運に終わる。

「世界最悪の旅」は、英国に生還したチェリー=ガラードが体験した過酷な南極での遠征記録であり、スコット隊に何が起きたのかを書き残した極地探検記の最重要古典である。

この本の中で、チェリー=ガラードはこの有名な一節を書いた。

「探検とは、知的情熱の身体的表現である」

とかく、冒険や探検と聞くと多くの人たちは「身体的表現」の方に目が向く。つまり「つらい」「寒い」「暑い」「痛い」「疲れた」「苦しい」といったような、身体活動に伴うものだ。しかし、チェリー=ガラードは、そんな身体的表現の前段として「知的情熱」があるのだと書いた。

「知的情熱」とは、見たい、知りたい、解き明かしたい、そんな科学的志向であり、欲求であり、好奇心だ。そんな「知的情熱」を具現化するために身体を通して行った活動が「探検」であると書いた。

痛いだの寒いだの苦しいだのといった、そのような身体活動は動物も行う。しかし、その前段として知的情熱を持つのは人間だけである。

つまり、チェリー=ガラードは「探検とは、知的情熱の身体的表現である」と書いたが、これは「探検とは」を「人間とは」に置き換えることができるくらいに、本質をついた一言でもある。「人間とは、知的情熱を身体的に表現する生き物である」と。

そう考えると、なぜ人は冒険探検するのか、という言葉の答えは「人間だから」ということにもなるのだと思う。冒険や探検を「無意味」だという人がいる。そんなことやって何の意味があるの?と。きっと、そのような人たちは「人間」ではないのかもしれない。すべて行為の前には意味や理由を言語化して説明できる必要があるし、そうできない行いは無意味である、と。

知的情熱とは、どのような場面で養われていくのか?言うまでもなく、成長の中で出会う様々な刺激や影響においてだ。その最たるものが「読書」だと思う。本の中では、100年前のチェリー=ガラードの考えに触れることもできる。2500年前のプラトンや、800年前の親鸞や、400年前の徳川家康や、200年前のナポレオンの考えにも出会うことができる。そして、いまを生きる自分自身の言葉を後世に届けることもできる。

読書を通して知的情熱が養われ、好奇心が醸成され、やがて衝動となって身体を動かし、身体的表現によって行われる活動が「探検」であり、それはそのまま「人間」の営みであると言うことだ。

冒険と読書は根を同一にする営みだ。なぜ「冒険研究所書店」を始めたのか?それは、読書を通して知的情熱を養い、やがて身体的表現に昇華させる「人間」の背中を押すためだ。


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