3歳は納豆が混ぜられる
子育てにおいて「納豆をあたえる」という場面は戦争だ。
あのネバネバする豆がなぜかうちの子供達は大好きで(すいません自分も好きです)納豆をテーブルに出すと歓喜する。
1歳の息子に至っては、あの「糸引く茶色い豆」をむんずと素手で触ろうとする。待ちきれないくらい好きらしい。それでも納豆だけはあんまり触ってほしくない、なぜなら後処理がすごく大変だから。
3歳の娘のチャレンジ
1歳がまだ上手に食べることができないので、3歳の娘が良い感じにご飯を食べてくれるかが、楽にその後を切り抜けられるかどうかの命運を分ける。
だから「失敗しないように!」と余計なお節介をしてしまうことも多々ある。
ある日、娘が突然「私が納豆を混ぜるね」と言い出した。
驚愕した、よりによって納豆だ。
「ネバネバするからママがやるよ」と言いたいところだったが、イヤイヤ期に差し掛かった息子が椅子の上で踊りはじめて(!)収集がつかなくなったため、半ば諦めの気持ちでお願いした。
すると蓋をとって、ネバネバしたビニールをうまく畳んで蓋の上に置き、醤油の切り込みだけ私にお願いしたかとおもったら、それを自分で混ぜ始めた。
ダマダマになっても失敗を恐れず一生懸命混ぜて、ご飯の上にかけてムシャムシャと食べ始めた。
感動した。3歳は納豆が混ぜられる。
やらせてみなけりゃ気がつかなかった。
知らずのうちに摘み取ってしまう「芽」
それと同時にちょっと反省した。
今まで子供の中に産まれた「芽」を摘み取ってやしなかただろうか。
「〇〇は汚くなるからいやだ」とか「◯◯は親がやった方が早い」とか。
時にはそういった理由で断ることがあってもいいとは思うけど、時には手を出さずにチャレンジを応援することもとても大事だなと感じた。
3歳は納豆をうまく混ぜられない
これは私のなかにあったバイアスだ。
「3歳は納豆が混ぜられる」
これはチャンスを与えてやらせてみなければ、親も子も「できるかどうか」さえわからなかったことだ。
すごくいい気づきだ。
納豆で口をベタベタにした娘の満足げな笑顔をみながら、そんなことをしみじみと感じた瞬間でした。