見出し画像

夜の散歩記録

絹糸のような風が、額、鼻先、頸筋をなぞり、二の腕の内側をくすぐった後に小指の先へするりと抜けていく。耳元でささやかな笑い声まで残していくかのようにいたずらっ子な仕草をする涼風を、「妖精が通った」と呼んでいる。

電柱のない田圃道、静かな田舎の夜。たわわに実り、こうべを垂れた稲穂を左右に従えながら、私はひとり歩いている。

月映えする黄金色の穂が揺れるたび、木漏れ日を何十倍にも凝縮したような芳しい香が放たれる。その香りに、夏枯れした命を蓄えて腐葉土になりつつある畦道の匂いが混じり合う。胸いっぱいに息を吸う。これは夏の匂い?秋の匂い?まだはっきりとしていない。ただ新しい酸素が身体中を駆け巡り、頭が冴え冴えとする。進む足取りが軽くなる。

聞こえてくるのは、さくりさくりと砂利を踏む己の足音。姿を見せぬ虫たちの歌。

もうずいぶんと遠くまで来てしまった。睡眠障害になってしまってから、「眠りの時間」というものは遥か彼方へ手放してしまった。闇に体を預け、薄雲のかかった月の光に惹きつけられながら、ふらふらと彷徨っている。暗い。とても暗い。たった1人きり。でも怖くはない。この暗闇はとてもやさしい暗闇だ。心地よい。

幼い頃は暗い場所が怖かった。突然何かが飛び出してくるように思っていたし、突然自分が黒に飲み込まれて無くなってしまうように思えていた。「おし入れの冒険」という絵本なんてトラウマだ。あの恐怖はいつなくなったのだろう。いや、いまでも「建物の暗さ」は苦手だ。廃墟はもちろん、夜の学校、閉店した店、明かりが消えたマンションの群れなど……人が作った空間にある暗闇はまだ恐ろしい。暗闇の中に人の痕跡を見てしまう、勝手に作為的なものを感じとってしまうのだ。人が作った静寂な箱の中の暗闇にある「人の名残」は、なんだか怖いと思ってしまう。

自然が生み出す暗闇は、同じ黒でも、どこか安らぎを感じさせる。目を凝らしてもなにも見えないけれど、視覚以外の感覚器で、其処彼処に命の動きを感じとれるからだろうか。突然飲み込まれて自分が消えることはない。その黒は底が抜け落ちた穴ではなく、たくさんの命と風が吹き渡る優しい場所だから。

夜の散歩は心の薬、心の安定剤になる。明るいうちに失ってしまったもの・無くしてしまったものたちを、拾い返すのはできないけれど、夜に溶けたこの機会を使って、また身体ごと作りなおしていけるような気がする。先が見えない暗闇だからこそ、本当に惹かれるものたちに心を動かすことができる気がする。野生動物のように過敏な感覚のまま、純粋な塊のままで存在を許されている、安心感がある。

苦しいから・眠れないからと夜に頼り、夜に逃げ続けていくのは決して褒めたものではない。けれど、「この日まで」というのを決められるレベルにまで回復できたから、「この日」まではあと少し、夜を支えに歩いていきたい。


この記事が参加している募集

生きていきます。どうしようもなくても。