【連載第7回 みんなの公園】実は江戸時代にもあった公園
広小路というオープンスペース
日本の公園行政は、1873年の太政官布達から始まる。明治政府は公園用地を確保する費用が工面できず、また整備のための時間もなかった。それらをクリアするため、広大な寺社境内地を接収。そこを転換する形で、公園という新たなオープンスペースの充実・整備に乗り出した。
実のところ、江戸時代にも公園のようなオープンスペースは存在した。一例を挙げれば、街の各所に設けられた広小路だ。道路の交差点でもある広小路は、幕府から町人に向けてお触れを出す高札場でもあり、民衆が集う場でもあった。
とはいえ、広小路はオープンスペース的な機能を持ちつつも、どちらかといえば道路・街道の一部だ。公園のような面的なオープンスペースではない。現在ての感覚なら、公園というより広場と形容した方が適切かもしれない。
向島百花園のような庶民が憩える場かつ花見の名所のような場所もあった。向島百花園のような公共空間は、入場料などを必要とした。そのため、これらの有料施設は公園というよりは遊戯施設、いわば遊園地と見られる傾向にあり、遊園地に分類される。
寛政の改革者が公園を生んだ
江戸時代に存在した公園は江戸から遠く離れた福島県、当時で言えば白河藩領にあった。
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