子育て3年目の私が今年成長したこと
年末。義母からいただいた「娘ちゃん、よく育ってるね」のお言葉。
以前なら内心有頂天だったと思う。
でも最近思う。それは私の手柄でもなんでもない。娘が成長した!
逆に、今娘が大変困った感じだったとしても私の責任じゃない。
うちの万年少食娘
娘が生まれてから3年半。娘の少食がずっとツラかった。
去年の12月〜今年の1月は保育園最初の冬。娘はずっと何かしらお熱で、食欲どころではなく。
そのまま春も夏も「離乳食の時期の方が食べてたんじゃない?」ぐらいの食事量だった。
何出しても、どんな調理法でもひとくちふたくちしか食べない。
毎月保育園で測ってくれる体重は横ばい、むしろ減る。背は伸びるのでアバラが浮いている。
保育園から「年少さんのご飯量の目安は100g」 というお便りが来て驚愕する。年長さんって3歳になったばかり(今の娘と同じ月齢)の子もいるよね?!100gも食べれるの??
毎日毎食、娘用に出したものを捨てるのはツラかった。SNSで、買ったものなら食べんでも自分のダメージが少ない!と見てたくさん使っていたけど、それでも選んで買って食べられるようにする手間がかかってる。
食材がもったいないとか手間がもったいないとかだけじゃなく、残されるたびに私自身に✕(バツ)がつけられてるように感じてたと思う。
今思えばなんの関係もないんだけど。
上手くいかないときは理由がほしくなる
1人遊びしてくれない時期も本当にツラかった。私が関わりすぎなのか逆にほっときすぎなのかと悩んだ。
イヤイヤ期も子どもが泣くだけでこちらも悲しい気分に引っ張られていた。
最近になって「泣いてる最中は何してもダメだ」と悟りを開いた。泣いているのは脳が成長途中だったり眠かったり体調不良だったり、彼女の都合。
今週お熱だった娘は突発性発疹だったっぽい。
治りかけてきて爆裂機嫌悪い。今朝も「どうした親でも死んだんか?」くらい泣いていた。そういうときはお地蔵さんになって見守るしかない。
思うに、今までの人生で失敗した時は自分を振り返って原因と対策を考えてきたような気がする。
対人関係でも基本的にうまくいかないことを自分のせいにしてその場を乗り切ってきた。それが1番波風立てないから。
子どものことでも上手くいかないと自分のせいと考えがちだった。毎日毎日しんどい状況だと何か原因を作りたくなる。
でもこちらの関わりのせいじゃなく、そういう時期だとかその子の性質だとかいう場合の方が圧倒的に多い。
最近娘は文句言いながらもわりと食べるようになってきた。3歳児健診でも成長曲線の1番下の線に沿ってちゃんと伸びている。この1〜2ヶ月で1人遊びする時間もグっと増えた。イヤイヤ泣いても最終的には言葉でこうしてほしい、と伝えてくれるようになった。
そんな今の様子を見てお義母さんは褒めてくれたんだと思う。大変な時期を寄り添ったことは、私、ほんとグッジョブ。がんばった。
そもそも今判断する必要ない
どんな子にもいいところも困ったところもある。
その判断基準は本人でなく周りであり、「大人にとって」一緒に過ごしやすいかどうかだったりする。お行儀がいいとか周りの子に譲ってくれるとか。
その性質は世界の反対側では正反対の評価かもしれない。
人生100年時代、これからその子がどう生きるかはまだ全然分からない。
もしかしたら将来大偉業を達成し記念館が作られて、3歳までの破天荒ぶりが展示され「あー、やっぱり大物はチガウ、ウチのコは引っ込み思案でダメね」とかなんとか言われたりするかもしれない。周りって勝手よね。
お母さんお父さんたちは、決して最良とは言えないコンディションの中でその日その時の最善を尽くしていると思う。子どもがいいも悪いも親のせいじゃないし、そもそも子どもの一部分だけを見ていい悪いでジャッジしないようにしたい。
書くことで見えたもの
今年の学び、もうひとつは自分自身には意識的にマルをつけるということ。
自分ではどうにもできないこと(子どもの発達なんてまさに)や他人のこと(周りの大人も含め)を必要以上に気にしない。
「今の自分とりあえずマル」にしたほうが、今日やることに集中できるし周りにも感謝できる。
私にとってそうできるためのアクションが、書くことだった。書き出すと落ち込みループから抜け出せる。
noteに並ぶ「今考えていること」「過去考えていたこと」を自分が客観的に見ることで楽になったことが多い。
今日書いた記事も悩んだ時に見たら「おお、そうだったそうだった」ってなると思う。来年もまた少しずつ書いていきたい。