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書籍【アメリカの大学生が学んでいる 本物の教養】読了

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◎タイトル:アメリカの大学生が学んでいる本物の教養
◎著者:斉藤 淳
◎出版社:SB新書


50歳を超えた今だから思うことは「もっと勉強していけばよかった」だ。勉強とは最高のエンタメだと思う。
学生時代は全く勉強しなかったので、成績も正直良くなかった。
中学校くらいまでは何とか付いていけたのだが、高校ではついていけず、むしろ勉強に嫌気がさしていたくらいだ。
当然「勉強を楽しむ」なんて発想すらなかったし、大学受験だってスレスレで運よく合格したのを良いことに、大学では完全に遊び惚けてしまった。
もちろん、40年以上前の当時は受験のための勉強であり、基本的にはすべての科目が暗記中心だった。
その暗記することが苦手なのだから、試験は当然苦戦するのだが、勉強することが実はイコール「教養」のことだなんて思いもしなかった。
それだけ何も考えずに暗記だけを嫌々やっていたのだから、頭が良くなるはずもない。
今思い返しても、「そもそも勉強するとはどういうことか?」「人は生きて行く上で、なぜ勉強しなければいけないのか?」「なぜ教養を得ることが必要なのか?」ということをきちんと教わったという記憶が全くない。
これでは日本経済が停滞する訳だ。
これからの未来を作っていくためには、優秀な人材を育成していかなくてはいけない。
暗記式のような、正解を記憶する勉強法(そもそも暗記を「勉強」と言えるのかは疑問だが)も、確かに機能していた時代はあったかもしれない。
日本のような製造業モデルの人材を育成するためには、非常に効果的だったと言える。
とにかく品質を高く維持するためには、そこには必ず「正解」があり、誰が製造してもその品質が保たれるための人材を育成する必要があった。
つまり、飛び抜けた天才は必要がない。
そして、多様性も当然必要ない。
周囲と協調して、金太郎飴のように、どこで切っても同じ品質になることが、正解だったのである。
しかし時代は大きく変わってしまった。
これからの未来こそ、「思考する」ことが、どれだけ大事かということだ。
それもほとんどの問いはWeb検索で正解が出てくるし、何なら生成AIで解決のアイディアだって出してもらえる。
それらと人間の思考とはどう違うのか。
違いをきちんと理解してこれからの時代を生きていくのと、何も考えずに流されるように生きていくのとでは、人生のクオリティは大きく異なるのだろう。
だからこそ教養なのだ。
老齢に差し掛かった年齢になって、ようやく教養の大事さに気が付くのだから困ったものである。
今だから自信を持って言える。
「勉強することは、本当に面白い」
暗記のことではなく、教養を得るという行為。
これは、先人たちの思考回路をなぞるような作業だ。
なぜ、その考えに至ったのか?
哲学だけでなく、数学だって物理だって。
世の中の不思議なことに対して、「なぜ?」と原因を探ることで、思考を繰り返す。
とにかく深く深く考えてみる。
そして、ある解答に至る。(至らない場合もある)
思考を巡らせるから、社会課題の解決が思いつくのかもしれない。
そして、思考を巡らせるから、新しいビジネスだって思いつくのかもしれない。
もしかしたら、私は今が人生で一番勉強しているかもしれない。
(それだけ学生時代に勉強しなかったということの裏返しなのだが)
決して頭が良くなっている訳ではないところが、自分自身の残念な点ではあるが、それもまた能力の限界であるから致し方ないところだと割り切っている。
しかし、本物の教養を得ることは、自己満足かもしれないが、それだけで十分に面白い。
本書では、「具体」と「抽象」を行き来するスキルについても触れているが、これも非常に納得だ。
暗記だけでは確かにこのスキルは身につかないだろう。
デジタルリテラシーなども、教養がきちんと身についていない人にいくらデジタルの知識を詰め込んでも、習得は難しいのかもしれないと思う。
教養とは、考え方を知ることだ。
思考のフレームワークを複数使いこなして、ケースに合わせて活用する。
そして、自分の意見としてまとめ上げて、分かりやすく相手に伝える。
これらを繰り返していく中で、自分自身の価値観が徐々に醸成されていくのだという。
教養を持つことは、つまり、自分自身を作り上げることなのだ。
そして、その自分自身の力で、未来を切り拓いていくということだ。
今からでも遅くはない。
勉強を楽しんで空想して、新しい教養を少しでも身につけられればと思っている。
(2024/6/18火)


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