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書籍【お金の未来】読了


https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/B09ZB7ST3M

◎タイトル:お金の未来
◎著者: 山本康正、ジェリー・チー 
◎出版社:講談社現代新書



私自身、今現在のお金について理解しているとは言い難い。この状況でお金の未来を想像するのは相当難しい。
だから勉強が必要ということになるが、調べれば調べるほど難しい。
一方で、知れば知るほど面白い。
生まれた時からお金というものがあったから、その存在自体を疑いもしなかったが、お金の歴史を紐解けばほんの数千年前から始まった程度の話なのだ。
少しずつ「金融」として進化して、近現代になって国家という括りと、お金の存在が紐づけられるようになった。
国家が国内で流通する貨幣の発行権を握ることが、国家権力そのものの証であったと言える。
これは理解できる。
確かに日本という国家が、外国と全く貿易をせず、外国からも攻められもしなかった場合を考えてみると、国内経済については「円」の流通量を操作することで成り立ちそうだ。
しかしながら、今は「円」と言えどグローバルでお金が取引されている。
当然日本も海外と取引する際は「ドル」で取引していたりする。
つまりお金が国家の枠組みをゆうに飛び越えてしまっているのだ。
さらに言うと、それぞれの国家が発行するお金以外にも、お金に代替できる価値を、国家でない者が発行していたりする。
かつてはクーポン券などもそれに類するものだったかもしれないし、電子マネーのポイントなどもそれらに該当するのかもしれない。
そもそもビットコインだって、発行上限は2,100万枚(ビットコイン)ということだが、元々何も存在しなかったところに、ポンっと2,100万枚のビットコインが生まれたことになる。
仮に1ビットコインを100万円(もちろん今現在ではさらに高値だ)で購入したとしたら、21兆円必要となる計算だが、もし私が今21兆円の現金を持っていて、それで全数のビットコインを買い上げたとしたら、その21兆円は果たしてどこに行ってしまうのだろうか?
2,100万枚を生み出した誰かの懐に入るのだろうが、そんなポンっと生まれた実体のないものが、21兆円に化けるのが不思議でしょうがない。
こういう点を理解できないから、私がお金持ちになれない所以なのかもしれない・・・
本書内で出てくる「Play to Earn」が普通の時代になったら、さらに「お金」の価値はどうなってしまうのか。
ゲームをやって稼ぐことも「付加価値の創出」として、その価値分のリアルなお金も増やすのだろうか?
今現時点でもあっても、「お金」という存在があやふやで実体があるように感じられない。
しかしながら、自分自身もお金を持ち、何なら電子マネーも持ち、食べるために買い物して支払いをしている。
実体がない物に人生を捧げるのも変であるが、それこそ事実として、お金が無ければ我々は生きていけない。
日々のお金を得るために働いているという現実がある。
お金の稼ぎ方の上手い下手はあると思うが、お金の仕組みを理解さえすれば、お金を増やすことは簡単なのかもしれない。
仕事で技術を磨いたり、仕事で価値を生み出す人間関係を構築したりする方が、もしかすると難しいことなのかもしれない。
本書を読み進めるうちに、ところどころ立ち止まって考え込んでしまった。
「Play to Earn」によって、働く意味も再定義されてしまうだろう。
ゲームをやるだけで生活できるだけのお金を稼げるようになったとしたら。
全員ではないかもしれないが、働くということをしなくなってしまうだろう。
むしろ「お金のために嫌々ゲームをする」という人も出てくるだろう。
そうなると、お金のために嫌々仕事をすることと、何がどう違うのだろうか。
嫌々であったとしても、「仕事」そのものは何らかの付加価値を生んでいるのかもしれない。
(もちろん世の中にとって不要と言える「ブルシットジョブ」は存在すると思うが)
本当にゲームをプレイするだけでお金が稼げるとしたら、それは「付加価値を生み出している」と言ってよいのだろうか?
(ここが自分でも今ひとつ「生み出してないのではないか?」と疑念を持ってしまっているところだ。しかしその考え自体が古いのかもしれない)
お金そのものも変わらざるを得ないが、「Play to Earn」によって、働く意味こそ変化すると思うのだ。
今は行き過ぎた資本主義を批判する動きがあるが、これだけの貧富の差は確かに行き過ぎていると思う。
世界の大金持ちの資産を見ると、莫大過ぎておかしくなってしまう。
何をどう考えても、一生かかっても使いきれない。
それこそ、宇宙ロケット開発ぐらいしなければ、資産が減ることはない。
そして一方では、今でも貧困に苦しんでいる人が現実的に存在している。
日本国内であっても、かつての「一億総中流社会」はどこに行ったのか?
今自分も50代で会社の中では小さいながら役職に就いているが、決して余裕がある訳ではない。
かつての役職者って、銀座で呑んでいる人もいれば、黒塗りの車で移動したり、秘書がいたりしてなかったか?
もちろん今の時代、それらは無用なのかもしれないが、どうにも釈然としない。
当然、銀座で呑みたい訳でもなければ、黒塗りの車も秘書も必要無い。
ブロックチェーン・Web3・DAO・NFTと、様々なことが出てきていて、総じていえば「分散化」なのだというが、これが格差の解決に繋がるのだろうか?
現実的には「お金持ちが持っているお金を手放さないと、分散化できないのでは?」と思ってしまうのだが、間違っているだろうか?
確かにお金の未来を考えると、いつかステーブルコインが発行され、DeFiが進み、ビットコイン含めた暗号資産が普通の「お金」のように扱われていくのだろう。
外側(外殻)としてのお金の変化は何となく理解できるが、本質自体が変ってしまうのかどうかが分からない。
勉強不足かもしれないが、まだまだ理解が及んでいないところがある。
現実的に今でも80億人の人が毎日生きていくために、食料を作っている人がいる。
これが付加価値を生み出しているかと問われたら、イエスと答えるだろう。
人間が生きていくのに必要な「衣食住」に関することであれば、同様であるとも言える。
暗号資産は価値を生み出しているのだろうか?
ゲームでお金を稼ぐのは、価値を生み出しているのだろうか?
そもそも「価値」って、何なのだろうか?
結局疑問は解消されない訳であるが、もっともっとお金の仕組みについて勉強する必要があるのだろう。
今更だが、お金に興味を持って、今後も深掘りしてみたいと思う。
(2023/10/20金)


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