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【目印を見つけるノート】527. 穴子ばかり頼んではいないでしょうか

きのうは書店に行ってからカフェのコースで散歩しましたが、その合間に、書店とカフェの間に鎮座する神社にふらりとお参りしました。

この神社に伺うのは3度目でしょうか。少し石段が急です。写真ではちょっとわかりづらいかな。

お参りをしてふっと足元を見ると、虫がいます。石の隙間から出たり入ったり、黒い羽虫でお尻がオレンジ色です。「はてな、ホタルではないし……」としばらく観察していたら去っていきました。
それから黄色い蝶が飛んでいるのを見ていました。朝もドアを開けたら黄色い蝶に出くわしました。モンキチョウかキチョウか、飛んでいるとよくわかりません。去年運良く京都で撮れたのはモンキチョウですが……。
こちらは去年京都のお寺の外で撮った写真です。

不意に社務所にいる方に呼ばれました。手招きしていらっしゃる。どうも宮司さまのようです。私が「はい」と進んでいくと、紙を手渡して、お話をしてくださいました。神社のある『八景坂』のことと、源義家(八幡太郎、頼朝の先祖)が休憩するので鎧を掛けた松の切り株があることなどです。
私はお礼を言って神社を出てきました。

その話は知っていました。
『姫様と猫と勧進能』という小説でこの辺りを書いたことがあったからです。
でも、いただいた紙を拝見してパッと赤面しました。『八景坂』に「やけいざか」とルビが振ってあったからです。
「はっけいざか」だと思っていました😱😱😱
幸いにも、『八景坂』の読みは小説に書いていなかった……はずですが……もともと、『薬研坂』、あるいは『野鶏坂』と呼ばれていたことに拠るそうです。

私は宮司さまがなぜ私を呼び止めてくださったのか、分かるような気がしました。
なぜふらりとお参りに来たのかもです。

そして、
たいへんラッキーだったこともわかりました。石の間に入っていた虫を調べてビックリ🤪
ツマアカクモバチでした。
えー、ハチだったの~😨
私はそれを至近距離でしばらく見ていたのでした。
「刺されなくて、よかった」

私は刺されなかったことに心から感謝しました。
そして、ご神木の立派なシイノキを見上げて撮った写真を見て、またお礼をつぶやいてみるのでした。

ーーーーー
歴史のお話を書くようになってから、寺社墓地史跡に足しげく通うようになりました。もちろん図書館や資料館、博物館も重要なのですが、寺社墓地史跡は自分の足を使って体感できるライヴな資料だと思っています。フィールドワークともいえますが、たまに、書くために歩いているのか、歩きたいから書いているのかわからなくなります(苦笑)。

そして、訪れることが頻繁になるにつれ、きちんと「礼」の気持ちで伺おうと思うようになりました。
フィールドワークでもありますので、個人的なお願いをすることはあまりないです。誓願とお礼でしょうか。
「今、お話を書いています。どうぞお守りください。できたらまた伺います」
というようなことです。それは神社の場合ですね。
一方、お寺ではその宗派の簡単な祈りことばを繰り返します。お寺はお願いするのではなく、自分を律する場だと理解しているフシがあります。
「郷に入れば~」という通りに伺っています。墓地史跡も同様です。節操がないということになるかもしれませんが、小説を書いている間はずっとそうかもしれません。

神社仏閣はパワースポットということで、ネットでも書籍でもよく取り上げられています。私も、今自分が行くことのできないところを動画で拝見することがあります。本当に便利でありがたいです。
ただ、
ふっと、だいぶ前ある方に書いていただいたエッセイの一文を思い出します。
とあるお寿司屋さんがメディアに紹介されて、「穴子が絶品だ」と書かれたそうです。そうしたら、たいそうお客さんが増えたのですが皆さん穴子ばかり頼まれる。寿司屋の大将はべらんめえ口調で憤慨されたそうです。

そのエッセイを見て、私は穴子の握りがずらっとカウンターに並ぶ光景を思い浮かべました。きっと、赤貝や鯛も美味しいと思うのですけれど。東京湾の穴子(江戸前)が枯渇しちゃうかもしれません。
このようなことは、今でも普通にあります。話題になった新商品が売り切れで生産のメドが立たない、というような話をしばしば聞きますね。
それを寺社でもしていないかなと思うことはあります。ご利益は穴子とは違うと思いますが、現世で得られるものはあまねく皆の手に行き渡るほどにはないかとも思います。
そしてもし、その貴重なものを手に入れたとき、神様にはどうお返ししますか。

私はきのう、呼ばれて説明書きをいただいたのと、ハチに刺されずに済みました。昔話に出てきそうなご利益です。
またぜひお礼に伺いたいと思います。
私にできるのはそれぐらいしかないです。

地元にはたくさんの寺社があります。
一度、PTAの会報を地元のお寺に配って回りましたが、20以上ありました。1日で回りきれませんでした。そして長い時間をかけて地元近辺の神社も伺っていますが、まだすべてはできていません。四国八十八ヶ所ではありませんが、この辺りに住んでいるうちにしたいと思っています。
自分の町が好きで、自分が無事に過ごさせていただいていることに感謝しているからです。

さて、
どのような遠くでも山奥でも参拝されている動画を見つけられますので付記したいのですが、ここのところの自然災害で壊れてしまったりしている寺社が少なからずあります。そして、氏子なり檀家(縁のある、地元の人からなる)が少なくて再建するのが難しい。私もなけなしの、ほんのわずかですが福岡と熊本にお送りしたことがあります。

自分の小説の補記に書いたこともありますが、そのような寺社を紹介していただけたらいいのにと思います。

以上はすべて、自分の感覚です。
異なる考えのかたもいらっしゃるでしょう。
それはいいのだと思います。
正式な作法ですとか、このようなご利益があるということではありません。そのような意味ではまったく参考にならないでしょう。ごめんなさい。

信仰は宗教の違いに関わらず、どこまでも、その人の心にあるものだと思うのです。

今日はそのような感じです。
お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽









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