【目印を見つけるノート】562. 心がどこにあるか知っていますか
晴耕雨読といいますけれど、この週末の曇天や雨のとき、私はひたすらものを作っています。「作りたい」欲がたまっていたのでしょう。
作るのはアクセサリーで、合間に紐の引き出しとか綻びを繕うとかそのような感じです。度が進むとミシンを出してきそうです。
いっとき、ランチョンマットばかり作ったので頑丈なのを作るのだけは得意です。
アクセサリーの方は、スカスカになりつつあった委託販売の棚がそこそこ埋まるぐらいになってきています。誤解されてしまうといけないのですが、毎日爆売れするということはないです。1年ぐらいかけて減っていった感じです。
「指先を使うのは脳にいいのよ」と千羽鶴を折り続ける方がおっしゃっていたことがあります。それをフッと思い出しますが、手でものを作るのは、心にもいいように思います。心というものが脳の働きの一環ならば、同じことなのですけれど。
無心で手を動かして作っているときはあまり余計なことを考えないように思います。作るというと大げさかもしれませんが、食器を丁寧に洗うとか玉ねぎのみじん切りを細かくするとか、そのようなことも手を動かして作るのと同義です。
脚を使わなければどんどん筋肉が落ちて腰も弱っていくように、手も使わなければ何かが失われるように思います。たとえば、今私は長い時間スマホを使っていますが、これは手を使っているのとは少し違うと感じています。そうですね、手が固まっていくというほうが近い。脳だけしきりに働いているようですが、それもToo Muchだと折り鶴の方がおっしゃっていたように脳も働かなくなるように思います。
なので、アクセサリー作りなどでバランスを取っているのかな。
とはいえ、留め金具が足りないのにそこまでの段階のものを10個ぐらいためてしまって、あちゃちゃ、工数管理がなってないわと苦笑しています。
製造業で事務をやっていたときに(けっこういろいろな業種にいましたね)、工数管理という言葉を覚えました。おかげさまで、ひとつの工程をまとめてやった方がトータルの時間が少なくなるし、ロスが少ないということが分かりました。
これはいろいろなところで応用できるのです。例えば封筒詰め作業も紙を折る、封筒にラベルを貼る、紙を封筒に差し込む、切手を貼る、封かんするーーという作業を別々にまとめてすれば、ひとりでも効率的にできるようです。複数でやればもうスイスイいくでしょう。
「そんなことは誰でも知っている」とおっしゃるでしょうか。そうですね、ただ、これを封筒詰めにあてはめることができても、日常していることに応用するというのは、なかなかしないものではないでしょうか。
「品質の高いものを効率的に生産していく」という考え方には学ぶことが多いです。
実は経済学部ドロップアウト😅
経営学部の方がよかったかも。
経営分析は難しいですけれど。
手を使うという考え方の応用でしょうか。
もちろん、手に限らず足なども、可動部なら同様だと思います。
頭だけではないのです。
そうそう、以前私の先生が心というのは脳の働きの一部、というようなことをおっしゃっていて、そうかもしれないと思うのですが、心というのはいったいどこにあるのでしょう。脳の中でしょうか。
なぜ人は脳と心を分けて考えてきたのでしょう。
STING『Shape Of My Heart』
Stingさんはこの曲のセルフライナーノーツで同じことを書いていたように思います。
それはAIが全面的に活躍している今でも有効な問いに思えます。
今日はそんな感じでしょうか。
お読みくださって、ありがとうございます。
尾方佐羽