【目印を見つけるノート】374. じかに話しかけるように書く
きのうのつぶやきに温かいコメントをいただき、ありがとうございました😢✨スキの方も、嬉しかったです。
ぶつけどころが3cm上だったら、もっと大変でした。よかったです。
何か、犀川先生を思い出しました😅
(森博嗣さんのS&Mシリーズのとある作品より)
今日は新月ですので、また新しい気分ですね。
ところで、今日のこちらの雲はすごかったです。
興奮してパチパチしていたら迷子になりました😅
ワニ? 爬虫類は雲なら大歓迎です😉
低気圧がまざっているのかな。
⚫書く上で大切にしていること
新しいお話の冒頭部分がようやくできました。あとは調べつつ書いていくことになるでしょう。
「何を書くか」ということが決まっていても、
「どのように書くか」ということが決まっていないとなかなか進まないものです。
例えば、アクセサリーを作るときに、「この石をメインにしよう」と思っても、「どのようなデザインにするか」というところでもう一段考える必要があります。
石を最大限活かしたいと思うからです。
そのような意味できのうはそのためのアイデアがするする浮かんできて、まるでパズルのピースが頭の中ではまるような感じがしました。これで構成はほぼできた😆
以下は、今の自分が歴史の小説を書く作業をする上で大切だなと思うことです。
書く内容に関して符合のようなものがパタパタ合うときは、偶然がうまい具合に作用しているのだと思います。「自分の力だけで決してひねり出せるものではない」というのはずっと思っています。
きのうもひとつの能面がきっかけでスルスルと。
偶然の「であいもん」に対してドアを開いておくのは自分にとって大切なことです。
あとは、一流の師匠を探して見つけています。師匠が大げさならば、自分の書く内容のアドバイザーです。こう書くと、まるで私の周りに素晴らしい人が揃っているようですが、違います😊
今の私のアドバイザーは滝沢馬琴と平賀源内です。
あり得ないかな😅
書くときは歴史それじたい、人それじたい、そして歴史に向き合った人、いわゆる原典にあたっていくことが最も有効だと思っています。ですので、古典と十把一からげにされているものが、偉大な、絶対的な師匠でありアドバイザーになるのです。
ですので、時にアリストテレスが師匠だったり、マキアヴェッリが先生だったり、太田牛一と相談したりするのです。
それがとても楽しいのです。
私は小説を読まない、とよく書きますが、古典と十把一からげにされているものをじっくり読み込むだけで、一生分の時間はすぐに過ぎていくと思います。ですので、「読む時間がない」というのが正直なところでしょうか。
きのうはひょんなことで、滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』でなぜ里見氏を出したのか、何となくストンと落ちました。
じかに原典にあたることで分かることはけっこうあるように思います。
じかに、というところがポイントかもしれません。
⚫今日の1曲
この曲の歌詞を書いた方には聞いてみたいことがけっこうあります。
「あれはワーズワースじゃないよね。ブレイク? あ、シェイクスピアでしょ」などのようなことです。
THE SMITHS『Ask』
この曲を聴くと、そんなふうに話しかけてもいいのかしらと思ったりしますけれど、無理だろうなあ😅
でも、Morrisseyさんにしても、ワイルドやブレイクの教え子だと私は思っていたりします。
それではまた、ごひいきに。
尾方佐羽
追伸 早く会えるということですね😉とっても嬉しいです✨