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【目印を見つけるノート】89. 江戸アケミさんのふるさとで

今日は他のところにも出しているものを掲載します。
7月1日なので。

そもそもは少し前の大槻ケンヂさんのnoteを拝見して、「そうだなあ」と思ったのがきっかけですが、私は門外漢ですし、自分的に70年代はまだ掘り起こしていないです。それどころか80年代も結構後追いの体たらく(汗)。

さて、ファンとしてこのような視点で書けているかはさておき、
お墓参りの話でもしましょうか。
私の中でもっとも印象に残っているお墓参りの話です。

JAGATARAというバンドをご存じでしょうか。もう、解散して、えーと、30年経ちます……と書いたら昨年再結成されました。情報にうとくてすみません。ライブがあった翌日に知りました。どうして……煩悶。

結成は1980年、ライブは見ていませんが、初期はアングラな雰囲気でパフォーマンスも過激だったやに聞いています。見ていないので言及はやめておきましょう。いろいろ変遷やお休みがあったりしたようです。
 
私が初めて買ったアルバムは『それから』(1989年)で、すぐ続けて『ごくつぶし』(同年)でした。『DOLL』という音楽雑誌でインタビューを見て興味を持ったのです。ファンクをベースにラテンやリンガラ(アフリカの音楽)なども取り入れていて、長い長い曲もありましたが、あまりそう感じずに聴いていました。グルーヴがありました。

でも、1990年の1月27日、ボーカルでフロントマンだった江戸アケミさんが急逝して、解散したのです。

これから聴くぞぉと思っていた矢先。

1990年4月14日に日比谷野音で『江戸アケミ追悼コンサート』があり、観に行きました。
そこで、どなただったかよく覚えていないのですが、江戸さんのお墓が故郷に建つことになったとおっしゃっていたのです。

なぜでしょう、それを聞いてしばらく覚えていたのです。それで、岡山に行く用事(吉備津神社などに行きました)があったときに足を伸ばすことにしたのです。伸ばしたものですね。東京から岡山まで新幹線で4時間(当時)、そこから特急『南風』で4時間かかるのです。岡山から東京と同じだけかかるので、足を伸ばしきった状態ですね。

高知県の中村(現在は四万十市)です。

東京に帰るのに8時間かかりますので、電車の切符やら中村のビジネスホテルを取るやら、その辺りは完璧だったのですが、肝心の墓所がどこかまったくわかりません。

いいのでしょうか、それで。今なら絶対にしません。本当にしません。

観光名所に行けば分かるのではないかと思い桔梗の花束を持って、『トンボ王国』に行きました。

どうしてそこで分かると思ったんでしょう。かえすがえすも不思議です。

売店の女性に聞いてみました。彼女は江戸さんの訃報をご存じでしたが、お墓の場所までは知りません。当然です。私の様子を見て、その女性が思い付いたように言いました。

「江戸さん(お母さま)なら知っとるから、電話して聞いてあげる」

えっ、本当ですか、いや、本当に、申し訳ないというか、とんでもないというか、ナンノコッチャイ(江戸さんの口癖?)というか……。

女性が電話帳を見て電話をかけてくださって、江戸さんのお母様が出てくださいました。
「あ、江戸さん? トンボ公園の⚪⚪です。今、東京から来られたファンの方が息子さんのお墓の場所をここで尋ねられとるんですよ」
そして彼女は、私に「はい」と受話器を渡しました。
「あ、あの、突然すみません。できましたら、お墓参りをさせていただければ……」と私はしどろもどろになって言いました。

また売店の女性が電話を替わって、お墓の場所を聞いて電話を切りました。

「さて、困った……あなた自転車だけど、自転車では遠いんよ。他の交通手段がなくて」

そうです。私は中村の駅でレンタサイクルをしてここまで来たのでした。私は自転車で行ってみようと思っていたので、それを女性に伝えました。

「うーん」と女性が思案しているときに、売店に中年の男性が入って来て、缶コーヒーを買いました。それを見て女性が男性に言いました。
「ねえ、ちょっと頼まれてくれん?」
「ん? どうした」と男性。
 女性はこれまでのいきさつを男性に説明しました。
「あんた、この人をお墓まで連れていって、ここまで戻ってくれん? この人の自転車があるきに」

男性は快く請け負ってくださいました。
タクシーの運転手さんだったのです。

さて、これで大円団、ではありませんでした。道を進んでいくと……。
「ありゃあ」と運転手さんが頭に手をあてました。
「どうしたんですか」と私が聞くと、
「この前雨が降ってたんで、土砂崩れしちょって、通行止めやき」と運転手さん。
ちょうど墓所のある山の道の入口で土砂崩れしていたのです。

ああ、これはもう、行くなということだ。諦めたほうがいい、と思いました。

私は運転手さんにお礼を言って、トンボ王国に戻ってくださいとお願いしました。すると運転手さんは、「ちょっと待って」と言って車を降りて歩いていきました。その先にはブルドーザーが2台いました。運転手さんはブルドーザーの人と話をしています。そして、車に戻ってきました。

すると2台のブルドーザーが動き出して、道を馴らし始めたのです。

え、え、え、え、え、えぇーっ。

私がびっくりして運転手さんをおそるおそる見ると、運転手さんは笑って言いました。
「ここまで来たら、行かないと」

おかげさまで、タクシーが1台通れる道を急造でしつらえていただき、無事にお墓参りをすることができました。
青い青い四万十川が見下ろせる、素敵な場所でした。

江戸さん、申し訳ないことに、何か私はすごく皆さんにお世話になってしまいました。どうか安らかにお休みください、と手を合わせて心の中でつぶやきました。
運転手さんは後方の少し離れたところでタバコを吸いながら見守ってくださいました。

ビジネスホテルの朝食で出てきた特大のカマスの干物、超おいしかったなあ。現時点で私の人生におけるおいしい干物ベスト1です。

ーーーーーー

そのようなお墓参りをしてきたわけですが、反省しました。古くからのファンでもないのに、ずいぶん図々しいことをしたものだと。ずっと人に言うこともなく歳月が過ぎたのですが、もう時効でしょうか。←これは去年書きました。

私は、『ニセ予言者ども』(1987年)というアルバムがいちばん好きです。特に、『都市生活者の夜』という曲はたぶん、私の、生涯消えない早暁ソングです。
曲紹介のための引用だということを強調して、お出しさせていただきます。

都市生活者の夜


人々が眠りにつくあいだに
もう一人の自分がゆらり起き出す
人っ子一人居ない月夜の道を
ただひたすらに走りつづける

さあ飛びのろう夢の列車に
夜のしじまに輝く星を
昨日は事実、今日は存在、明日は希望
昨日は事実、今日は存在、明日は希望
後ろからしがらみが追いかけてくるけれど
そんなことは少しも問題じゃない

同じように月夜の下で 同じように足をならし
同じように月夜の下で 同じように足をならし

今は午前四時少し前
今は午前四時少し前
朝焼けを待ちわびながら
終わりのないダンスはつづく

絆を失った砂漠の街で
小鳥たちのさえずりさえも消えて
都市生活者は笑いころげた
悲しいほどにただ笑いころげた

さあ飛びのろう夢の列車に
夜のしじまに輝く星を
まわりは宇宙的レベルで少しずつ変わってゆく
オレの言葉も空に舞ってゆっくりと弧をかき始める

昨日は事実、今日は存在、明日は希望
昨日は事実、今日は存在、明日は希望

子供達の明るいざわめきが
街じゅうに響きわたるその日まで
オレは決して忘れはしない
あの日のすべての出来事を

同じように月夜の下で 同じように足をならし
同じように月夜の下で 同じように足をならし

今は午前四時少し前
今は午前四時少し前
朝焼けを待ちわびながら
終わりのないダンスはつづく

ほら、もう少しで君のゴールが
あの娘が笑いながら近づいてくる
君も手を振ってみてごらん
きっとわかってくれるはずさ

あの娘が笑いながら近づいてくる
あの娘が笑いながら近づいてくる

人生は軽いフットワークさ
人生は軽いフットワークさ

オレは忘れはしない
あの日のすべての出来事を
オレは忘れはしない
あの日のすべての出来事を

(曲紹介のための引用/作詞・作曲 江戸アケミ)

あれから、高知が好きになりました。
足を向けて寝られません。
江戸さんのお母様とはしばらく年賀状のやりとりをさせていただきました。もったいないことです。

ご好意に、ありがとうございます。
すべてのことに、ありがとうございます。

7月1日は、江戸さんのお誕生日だということですので、この一文を捧げます。

他のコーナーは明日に順延いたします。

おがたさわ
(尾方佐羽)

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