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【目印を見つけるノート】1789. おらしょ(Oração)

あ、フランス革命の年(通算回数)ですね。

昨日はnoteに書いた通り、職場を出てまっしぐらに目当ての古書店に向かいました。まっしぐら……のつもりだったのですが、分かりやすい靖国通りではない裏道を進んでいきました。冒険心でしょうか。それがどうにも……。

すると、古い建物を見つけて足が止まりました。
カトリック神田教会です。
ついぐるりと回り込み、写真を取りつつ、聖母子像の前でフランシスコ教皇の回復をお祈りしました。

気がつくと、方角がさっぱり分からなくなっていました。慌てて地図アプリを見て進む方向を確かめました。

途中で、昔の職場の後輩がよくインスタにあげている中華料理屋さんを見つけて、また写真を撮りました。続けて錦華小学校の脇に夏目漱石の碑を見つけて写真を撮りました。

ようやく目的の古書店が見えてきます。
けれど、店じまいの支度をしている😱💦
慌てて聞くと、5時半までの営業とのこと。
時間を見ると5:36……完全にアウトです。
まあ、営業時間を聞けただけでも幸いでしたが、ちょっとがっくり。ちょっと寄り道と遠回りをしすぎたのか😥

でも、また近々来ます。
そのときでもいいよ、ということだと思いました。お祈りができただけで十分だと思いました。

カトリック神田教会は本当に何も知らず偶然見つけたのですけれど、時代的に同じ頃のお話を少ししますね。

明治の初期に禁教が解かれたのですけれど、その頃にフランスの宣教師が来日して、長崎に調査(というのか対話)に入ったそうなのです。宣教師はアメリカからも来ましたが、アメリカはプロテスタントが主で、フランスはカトリックが主でした。

遡ること320年前の16世紀、戦国時代の日本にカトリックの宣教をしたのはポルトガルとスペインの人でした。
最も有名なフランシスコ・ザビエルは厳密にいえばナヴァーラ(現在のスペイン・バスク地方にあった国)の出身でしたけれど、ポルトガル王ジョアン3世の命を受けて東方宣教に出て日本へやって来たのです。次に有名なルイス・フロイスは生粋のポルトガル人でした。この頃はポルトガルとスペインが大海原を越えていき、国力が盛んなときでした。江戸時代に入った頃にはイギリスとオランダがアジアに進出し、明治にはまた変わろうとしていました。

戦国末期から江戸にかけての激しいキリスト教弾圧については、ヨーロッパの国々でもよく知られていたようです。だからフランスの宣教師は長崎に行ったのでしょう。
去年、東洋文庫ミュージアムの企画展で展示されていた、『日本殉教精華』(アントニオ・フランシスコ・カルディン/リスボン/1650)、『世界教会史』(コルネリウス・ハザート/ウィーン/1678)にもその様子は絵入りで出ていました。

東洋文庫で購入した、『どちりな きりしたん』(公教要理)の当時の原書の絵葉書(部分)。

長崎の信徒の末裔はお祈りの言葉を諳じたそうです。それはたどたどしく、カトリック教徒とはとても思えないものだったーーと宣教師は報告に書いたようです。もう少しきつい書き方だったと思います。

このお話はその調査について研究している方の講演メモの記憶をもとにしていますが、細かいことは忘れました。

私はエピソードを聞いて、悲しく思いました。
信仰が伝えられて300年のうち、250年ほどは聖書をはじめ書物も持つことができず、ミサを主宰する司祭も他の聖職者も教会もなく、一切口外することなく、宣教時に習った祈りの言葉を口承で、あるいは、それと分からないように、かなで紙切れに書いて、明治になるまで守ってきたのです。そのときには日本語の意味(訳)も消えてしまっていました。

それはたしかにカトリックの約束事からは外れているかもしれませんが、同じ状況で完璧には守れないだろうと思います。
生きることはとても大事です。

たどたどしいお祈りの言葉は、ポルトガル語だったそうです。「Oração(おらしょ)」です。間違いなく300年以上、断片になっても守られてきたおらしょを私は聞いてみたいと思いました。

おらしょが述べられているとき、
そこにはもしかしたら、フロイスもいたかもしれません。彼は晩年長崎で過ごしました。

その調査は、この教会ができた頃に実施されたようです。
ふっと思い出しました。

さて、
私はどこの宗教にも属していません。
キリスト教の人も、仏教の人も、神道の人も、
どこもフラットに見るためですが、いつかはどれかに依るかもしれません。
ただ、祈るという行為だけはどこも共通だと思います。

ですので、祈ります。

数年うちにはオデュッセイアの取材で長崎・五島・天草を巡りたいと考えています。

今は資料をちょこちょこと。

それでは、今日の曲です。
The Blue Hearts『青空』

大好きでよく弾いたなあ、この曲。A。
フラット、というとこの曲を思い浮かべます。本当にフラットというのはなかなか難しいですし、芯がないといわれるかもしれません。うーん、ゴリゴリで人を傷つけるような芯ならいらないかな。
いや、そうではないですね。
しなやかで強靭な芯があるから自然にそうできるように思います。

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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