【目印を見つけるノート】566. 日本で最初にできた病院は……
こんばんは。きのうから空が面白くて上ばかり見ていたら転んでしまいました。ああ。
きのうは満月でしたね。
雲がかかるとまた面白いのです。
きょう午前中の雲も面白かったです。スケールが大きい感じ。建物と比べて「うわあ」と声を出してしまいました。
何を撮ったのかというと、ワカケホンセイインコですね。止まっていますが見えないかと思います。緑色でしたので、「ケツァール」かと思ってしまいました。ケツァールは中南米の鳥ですからもちろん違います。
さて、
きのう寝落ちして、小説の更新が遅くなってしまったのですが、慌てて書かなくてよかったかもしれないと書いた後に思いました。
日本の最初の病院について少し書きました。
ネットで「日本 最初 病院」と検索すると2つの説を見つけられるでしょう。1557年にポルトガル人ルイス・デ・アルメイダを中心に大分で建てられたもの、1861年オランダ人のヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトを中心に長崎で建てられたものの2つです。
なぜふたつの説になっているかは分かりません。後者は幕府の典医・松本良順が関わっていて、官の性格が強いからかもしれません。大分の病院は国主の大友義鎮(宗麟)が土地を提供しましたが、運営などはアルメイダの私財によって賄われました。
話はアルメイダが生まれた頃に遡りますが、イタリア戦争のさなか、ジョヴァンニ・ディ・メディチ(黒隊のジョヴァンニとして有名)という貴族がドイツとの戦闘で脚を負傷し、その傷が壊疽を起こして切断せざるを得なくなりました。ジョヴァンニは気丈にも切断の痛みに耐えましたが、当時も原初的な麻酔薬ーーおそらく阿片などの植物かそれを蒸留したものでしょうがーーはあったようです。
そのあたりの資料は持っていないのですが、古代オリエントの時代から鎮痛薬として阿片が効果的であることは知られていたそうです。
シュメール人の粘土板に記録がある
http://plaza.umin.ac.jp/~beehappy/analgesia/history-all.html
アルメイダはポルトガルの王立医学校で医学を修めています。当時のイベリア半島は800年続いたレコンキスタ(国土回復運動)が終わって久しかったのですが、長くイスラムの国家と共存していたため、最先端のイスラム医学を学ぶこともできたでしょう。イスラム医学の書では12世紀後半に吸入麻酔についての記載があるとのこと。
それら断片的な史実をつないでみれば、アルメイダが外科手術をしている姿もくっきりと浮かぶように思います。加えて彼の病院には京都で学を修めた漢方医も所属していました。内科の見立てができて、薬学の知識もあったということです。16世紀の日本にそのような東西医学の交流があったというのはたいへん興味深いですし、もう少しその話を書いていたいと思いました。最初の病院は16世紀の大分であると私は信じます。
今回の更新は大友さんのぼやきみたいになっていますけれど😅
『16世紀のオデュッセイア』日本で最初の病院
https://www.alphapolis.co.jp/novel/793313132/416136725/episode/4894832
歴史は面白いです。
源頼朝や足利尊氏だと思われていた肖像画が別人だったという話題もありましたが、柔軟で多角的な考え方が求められる分野だと私は考えています。
あとはトロイアの跡を見つけたシュリーマンのような情熱。
それではルイスに敬愛を持ってファドを。ルイスの頃にはなかったようですが。
アマリア・ロドリゲス『Maria Lisboa』
では、今日はこのへんで失礼します。
お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
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