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暗黒報道㉝第四章 孤島上陸

■「白蛇島」に人影を見た


 伊藤楓は有給休暇をとった。入社以来初めてだった。大学の同期でマスコミ業界で仕事をしている元カレに聞くと、休日はきっちりと取れているようだった。だが、その分、給与が上がらないと嘆いていた。「昔の記者の待遇は格別によかったらしい。取材費はふんだんにあって、移動はタクシーが当たり前。バブル期なんて新幹線のグリーン席で東京大阪間を移動してたらしい。確かに忙しかったらしいが、大先輩の勘違いした自慢話を聞くと、首を絞めたくなる。お前たちのせいで、俺たちは今、苦しんでいるんだって言いたくなるわ」。いつも同じ内容の愚痴を聞かされた。
 
 楓はJRに乗り、横須賀駅で降りた。しばらく海岸線を歩くと、横須賀港に出た。潜水艦、巡洋艦が所狭しと並んでいる。「ウエスト合衆国」が管轄する港の一部には、巨大な空母が停泊していた。「軍港巡り」のフェリーもでているし、ほかにも、さまざまなルートの観光船がここから出発していた。白蛇島の周辺を回る航路はなさそうだった。期待していたヘリコプターによる遊覧飛行もなかった。

横須賀港。自衛隊の艦船がずらりと並ぶ


 横須賀港から歩いて20分ほどのところに三笠公園がある。そこから無人島の猿島行きのフェリーが出ている。猿島からならば望遠鏡を使えば島影ぐらいは見ることができるかもしれない。そう思って、三笠公園に向かって歩いて行った。フェリー乗り場に向かった途中、はずれた一角に漁船が並んでいるのを見つけた。小型の漁船をチャーターして、白蛇島に行くことはできないだろうか。
 
 漁船の船体に書かれた船名を頼りに電話で連絡してみた。船長の家は近くで、わざわざ港まで会いに来てくれた。初老の落ち着いた男性だった。
 「白蛇島か。昔はよく停泊したけどな。あの近辺は魚がようとれるんじゃ」
 「なんで白蛇島という名前なんですか?」
 「昔の有名なお坊さんが乗った船が難破した時に、大きな白い蛇が現れてお坊さんを助けたそうじゃ。そしてあの島で休ませたんだ。そういう言い伝えがあって、島の名前になったんじゃ」
 「船で近くまで行ってくれませんか」。楓が無理を承知で言ってみた。

 「行けないこともないけどな」。漁師は戸惑ったように楓の顔を見た。
 「なんだい、あんたは旅行専門のルポライターかい」
 「それに近い仕事です。どうしても白蛇島を見てみたいのです。近くまで行くのも禁じられているのですか」
 「別に禁じられてはいない。明日早朝、漁に出るから一緒に乗るか。半日は船に乗ることになるけどな」
 「今からではだめですか。チャーター料は払います」
 「今? 個人の貸し切りか。高くつくぞ」
 「構いません」

 結局、午後1時という不自然な時間帯に漁船が出た。3時間のチャーター代として15万円を支払うことになった。高いのか安いのかわからなかったが、楓にとってはどうという金額ではなかった。楓も防水用のジャンパーと帽子を借りて、漁師に扮した。

 20分ほどして白蛇島の島影が見えてきた。かなり離れた沖をゆっくりと周回した。切り立った岩壁に波が何重にもぶつかり白い水しぶきが上がっていた。海面すれすれのところに洞窟のような穴がいくつも空いていた。
 
 人影が見えた。船着き場になっているところから山の上に向かって舗装された道がくねくねと続いている。その道を数人がなにか青いビニールシートに包んだ荷物のようなものをもって運んでいた。あまり島に近づきすぎないように気を遣いながら、カメラで撮影した。船着き場とは反対側に回ると、体育館のような建物が見えた。外壁は白く汚れはなかった。新しい建造物であることがわかる。

島の沖をゆっくりと進む

 人影が再び見えたので、楓は細長い望遠鏡を取り出した。この日のためだけに自腹で買った。人をアップで捉えた。
 「えっ」
 予想しなかった光景だった。身体の震えが止まらなくなった。
 「もういい。十分です。港に戻りましょう」と楓が言った。
 「まだ契約では1時間ぐらい残っているけどな」。船長がタバコを吸いながら、のんびりした声で言った。
 「構わないからここから離れて」。声が大きくなっていた。
 「わかったよ」。船はゆっくりと岸に向かって進んだ。
 「俺にとっては楽な商売だった。いい小遣い稼ぎになった。また来てな」。楓は押し黙ったままだった。緊張が解けず、体が強張っていた。
            
 楓は翌日、会社に出社すると、改めて白蛇島の歴史をネットや文献で調べ直した。社長の席に、河野が座っていた。早朝、名古屋から戻ってきていたらしい。
 河野は下河原と同行することが多く、政策の話をよく聞かされているので、白蛇島で起きていることについて、かなりのことを知っているはずだ。しかし、肝心なことを聞いても、いつも「知らない」と答えるだけだった。白蛇島のことを聞いても答えは同じだろう。そればかりか、「東京Fプロジェクト」関係の取材は禁止されているため、叱られるのが目に見えていた。下河原総理に筒抜けになる危険性もあった。
 
 「怖い顔をしているな。今なんの取材をしているんだ」。河野が近づいて来て声をかけてきた。
 「報道関係者が相次いで行方不明になっている件を引き続き追跡しています。権力に迎合しない骨のある人が大半です。人権派弁護士も動き出しているので取材するつもりです」
 「まだ、そんな取材をやっているのか。君は危ないことばかりに関心をもって首を突っ込みたがる。記者としての潜在能力は認めるが、まだまだ新人も同然だ。もっと、最新のグルメ情報とか芸能、スポーツネタとか大衆が喜ぶネタを取材したらどうだ。わが社も名前が売れてきているから、取材と言えば名刺一枚で誰にだって会えるぞ。そうだ、次のサッカーワールドカップの取材を始めたらどうだ。活躍が期待されるアスリートを紹介するという企画はどうだ。ヒット数を稼げるし、スポンサーもつくぞ」


「ワールドカップの取材をしたらどうだ」。社長の提案に楓は揺れた

 サッカーが大好きな楓にとっては、魅力的な提案で心が動いた。
 「いいですね。担当させてくれるんですか。考えまーす」。才能抜群で格好いい海外の若手選手の顔が次々に浮かんだ。
 
 だが、次の河野の言葉で我に返り、固まった。
 「ところで、先日、全日本テレビ最上階の下河原総理の執務室に忍び込もうとした奴がいたらしい。俺の方にも報告が上がってきた。楓はなにか知らないか」
 どこまで河野は知っているのだろうか。河野の認証カードを使って入ろうとしたのは楓だ。間一髪で岸岡に救われた。岸岡は河野には報告しないと言っていた。河野はすべてを知っているのかもしれないし、トラブルがあったとだけしか聞いていないのかもしれない。
 「知らない」と言ってしまったら嘘をついたことになる。具体的に名指しで聞かれたら正直に話すしかない。会社をクビになるかもしれないことをやってしまったという自覚はあった。

 楓はあえて黙っていた。河野は続けて何かを言おうとしたが、言葉を吐き出す寸前になって止めた。
 「とにかく危険なことはするな」。しばらく間を置いて今度は強い口調で言った。
 「俺を裏切るようなことはするなよ。これだけは言っておくぞ」。それだけ言って社長室に戻った。

 「東京湾Fプロジェクト」についての取材は、明らかに河野を裏切ることになる。戸惑いはあったが、いまさらブレーキをかけることはできなかった。
 こんな時に最もいい相談相手は大神だった。しかし、大神は今や、追われる身で連絡先もわからない。たまに電話があるが、楓の方からの連絡は禁じられていた。というより、連絡先を教えてもらっていなかった。

 楓は弁護士の永野洋子に連絡をとってみた。以前、大神に紹介されて3人で食事をした時に名刺を交換していた。永野はすぐに出た。
 「どうしても大神先輩に会ってお話ししたいことがあるのです。どこかで会えるように取り次いでもらえないでしょうか」と楓は思い切って言った。
 「話って、どんな内容なの?」
 「それは……。中身は電話では言えないのですが、権力の不正にまつわることです。下河原総理の周辺で起きていることについてです。スクープなんです。でも会社はブレーキをかけるんです。どうしたらいいか相談できる人が周りにいなくて。大神先輩のことが思い浮かんだんです」。しばらく沈黙があった。
 「わかったわ。大神さんも楓さんのことは信頼していたから。相棒だった橋詰君が亡くなって一時意気消沈していたけど、楓さんのような前向きな後輩がいてくれると、大神さんも喜んで、元気を取り戻すでしょう。おっと余計なことを言ったわね。できるだけ早く連絡を取って、会うための段取りつけてみるわ」

 「ありがとうございます」。気難しそうな弁護士で電話をかけるのも勇気がいったが、大神先輩に会えそうな感じになってきた。「なんでもアタックしてみることだな」。そう思った。

(次回は、■白蛇島で見たのは、あのマーク)

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小説「暗黒報道」目次と登場人物           
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発 
第四章 孤島上陸
第五章 暗号解読 
第六章 戦争勃発 
第七章 最終決戦
エピローグ

主な登場人物
大神由希 
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
下河原信玄 
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
後藤田武士 
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。

★朝夕デジタル新聞社関係者
橋詰 圭一郎 
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
井上 諒   
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
興梠 守   
警察庁担当キャップ。

★大神由希周辺の人物
河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。

★下河原総理大臣周辺の人物
蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。        
鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。

★事件関係者
水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。


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