暗黒報道IFストーリー63 第7章 最終決戦■大接戦 その結果は
■総理執務室にて
首相公選の投票結果はまさかの展開だった。
下河原と大神は大接戦で、開票作業は深夜までもつれ込んだ。結局、1万票差で大神が勝利したのだった。
下河原は負けを認めず、「開票作業中に不正があった」「票が奪われた」と訴え、票を集計し直すように指令を出した。
大神の勝利宣言は一時お預けになった。しかし、再度の集計の結果も変わらず、大神の勝利が確定した。
下河原は最終結果が出る直前に、自家用のジェット機で日本を飛び立った。向かった先は「ノース大連邦」の首都だった。「亡命」をはかったのだ。大神は前首相からの引き継ぎが全くないままに公選首相の仕事を始めなければならなかった。
公選首相選の投開票から1か月が経った。
総理大臣執務室で大神由希が大きな椅子に座り、書類に総理大臣の公印を押していた。総理官邸での業務は午前中だけで午後からは病院に通っていたが、奇跡的に快方に向かっていた。1週間後には平常通りの仕事をこなせるとの見通しだった。
「なんで1日に10も20もの書類に公印を押さないといけないの? ペーパーレスと言っているのに」。愚痴が出てしまう。
大臣や事務次官から手渡された書類を読み込むだけで大変だった。
「内容についての説明を直接聞きたい」。そう言えば、案件ごとに詳しい役人が大勢でやってくる。話を聞いて質問していくうちにようやく内容を理解する。記者時代は内容を理解さえすれば、わかりやすく記事にすればよかった。しかし、今の立場は次に最も大事な仕事が待っていた。
「決断」だった。国民の生活にすぐに直結する案件について次々に最終判断を下していかなければならない。賛否が真っ二つに分かれた事案についても最終的にどちらかを決めるのが総理大臣の役割だった。そして決断した理由を国民にわかりやすく説明できなければならない。
内心では「立候補するんじゃなかった」と思った。だが、そんな素振りは絶対に見せてはいけない。気力が充実した姿を国民に見せていかなければならなかった。
この1か月であまりにも多くのことが変わった。
選挙を仕切った「野党公選協」事務局長の田島は、大神の要請で、内閣官房長官に就任した。大神を補佐し、すべての案件を取り仕切る。妻の永野弁護士は大神を取り巻くスタッフの一員として危機管理面に目を配った。
内閣官房副長官の蓮見が逮捕された。大神が演説していた選挙カーにドローンを激突させた疑いだった。精鋭部隊のリーダーが日比谷公園が見渡せる高層ビルの屋上でドローンを操作した。その隣で指示を出していたのが蓮見だった。捜査一課の調べで、精鋭部隊でドローンが使える人物としてリーダーが浮上した。リーダーが逮捕され、その供述から蓮見の犯罪が認定された。
蓮見はドローン攻撃後、愛人に提供していた北海道東部の国立公園近くの別荘に逃げ込んでいたところを確保された。襲撃直後、下河原に暗号メールで「すべてうまくいった」と連絡していたことを証言した。余罪が多くあるとみられ、警視庁捜査一課による取り調べが続いている。
報道記者の行方不明事件の調べが急展開を見せた。玄界灘に浮かぶ孤島「黒猫島」に、23人の記者が監禁されているのが見つかり保護された。「白蛇島」から「黒猫島」に移されていたのだ。みなやせ衰えていた。もう1日発見が遅れたら衰弱死する人がでてきたところだった。
誘拐に関わった民警団の精鋭部隊の隊員が次々に逮捕されていった。大神の相棒だった橋詰圭一郎記者を殺害したのも、民警団本部事務局長の江島健一の指示による精鋭部隊の隊員だった。
大神は橋詰の墓に参って、事件の顛末を最初から最後まですべて報告した。「先輩、やりましたね」という声が聞こえてきた。いつもの毒舌や悪態、反論はなかった。だから、言い返すことができず口論にならなかった。涙だけが溢れてきた。
民警団の活動は停止した。官房長官の田島が中心になって、組織の在り方を抜本的に見直すことになった。
大神は公選首相に決まった直後、白蛇島の事件捜査の進捗状況を知りたくて鏑木警部補宅に「夜回り」した。鏑木夫婦ともども突然の訪問にびっくりした。
「事件の全容解明には3年はかかる。それほど難仕事だ。俺も妻と一緒に君に1票を入れた。感謝してほしい」と鏑木はいつもの口調で言った直後にいきなり立ち上がり、直立不動になった。
「新総理には国の平和と国民の安心、安全のために尽力していただきたい。なお、総理におかれましては、今後、夜回りとかはなしにしていただきたくよろしくお願い申し上げます。事件全般でお問い合わせがあれば、警視総監がすぐに駆け付けると思いますので」と言って最敬礼した。妻は「偉くなっちゃって。大変なことばかりだと思うけど頑張ってね」とやさしくねぎらってくれた。
総理執務室にいると、田島が来客を告げた。「虹」のリーダーと、行動を共にしてきた井上諒だった。
リーダーは言った。「報道と選挙。民主的な手順で日本が独裁政権になるのを阻止しましたね。我々の出る幕はなかった。報道の力を見せつけられました。『虹』は解散します。メンバーは警察からの事情聴取を受けています。武器使用などで身柄を拘束されるものも出てくるでしょうが、それぞれ活動内容について隠さず話すように指示しました。私もこれから出頭します」
朝夕デジタル新聞の発行は再開された。井上は、鈴木編集局長と田之上社会部長からの事情聴取を受けた。「虹」の情報班長として活動していたことから警察にも出頭した。取り調べが終わるまで休職扱いは続いた。その後は、新聞社に戻るように田之上に言われた。
鈴木編集局長は、次の異動で、田之上を編集局長補佐、井上を社会部長にする人事構想を描いていた。
「幸福公園」近辺で暮らしていた河野は総理執務室での事件で大けがを負ったが徐々に回復してきた。そして、顧問をしていたスピード・アップ社に一社員として戻った。一線の記者となって再び現場にでることを夢見て、簡単な事務作業から始めることになった。
伊藤楓は、大神総理の秘書的な仕事をしばらくしていた。そして、報道を基礎から学ぼうと、新聞社とテレビ局の途中入社の試験を片っ端から受けることにした。「大神先輩を超える記者になる」と威勢がいい。楓の母親は夫の故伊藤青磁が設立したIT企業の経営者になって欲しいので報道に執着する楓に困った顔をしたが、大神が公選首相に就任したことについては大いに喜んだ。
後藤田は車いすで記憶喪失のまま病院で生活している。大神総理は、自分が後藤田に直接面談して、記憶喪失ではないことを立証してみせる、と言ったが止められた。
「孤高の党」は下河原が亡命したことで空中分解した。所属議員は、新党を結成する準備に入ったり、民自党に加盟申請したり、無所属になったりした。民自党へ多数の議員が入党することになり、民自党は単独過半数を確保することになった。
大神は、下河原政権が進めた軍事大国への路線を大転換することを決め、マスコミ規制法の撤廃など抜本的な改革に乗り出した。世界中で戦争、紛争が起きている中で、日本は改めて「戦争放棄」を掲げて、平和外交に徹することを世界に宣言した。
オールマスコミ協議会の総会が約2年ぶりに開かれ、空席だった新しい会長が決まった。下河原政権下での報道弾圧の実態解明を進めていく。世界中でジャーナリストの死が相次いでいるが、日本の報道弾圧による短期間での死傷者の数は際立っていた。同時に、この時期、報道機関が「言論の自由」を守るためにどのように闘ってきたかを検証する調査委員会も設置された。
新会長の挨拶の後、「オールマスコミスクープ大賞」の発表が行われた。
朝夕デジタル新聞社社会部調査報道班記者で、現在の内閣総理大臣、大神由希が受賞した。大阪のホテルで発生した毒物混入殺人事件で、江島健一に逮捕状が出たという速報記事が対象だった。大神は2回連続の受賞となった。
「今月の予定について説明します」。官房長官の田島が大神に言った。大神は10日後に総理専用機で国連に出発することが確認された。
「国連総会での演説です。体調がすぐれない中で申し訳ありませんが、国連での演説は総理のたってのご希望であり、こちらから要請していたものです」
世界平和に向けて大神が演説することが決まったのだ。
30歳という女性総理の誕生に世界中が注目していた。
「もう体調の方は大丈夫です。それよりきちんと演説ができるようにしておかなければ。世界外交のスタートになるのだから」
大神は国連での演説の予行演習を繰り返した。
(次回は、エピローグ)