暗黒報道61 第八章 最終決戦
■自爆型ドローン爆発 大神は吹っ飛ぶ
公選首相の候補者3人による公開討論会が日本記者クラブで予定されたが、下河原は当日になってキャンセルした。2人の対立候補から集中砲火を浴びるのを回避した。
田島は、北海道へのミサイル着弾について、下河原による「自作自演」だったという疑惑に絞って糾弾しようと考えていた。対面で徹底的にやり込めれば、下河原がごまかし、嘘をついている様子を有権者に見せつけることができる。それができれば選挙戦での勝機が生まれてくると思っていたが、肩透かしを食らった格好となった。公開討論会は2人が自己PRをして、下河原を一方的に批判するだけで盛り上がりを欠いたまま終わった。
田島が副代表を務める民自党による独自の選挙情勢調査の結果がでた。当選ラインまでさらに数百万票の上積みが必要だった。分析では、平和を訴える田島の公約は最終盤においては、有権者の投票行動に影響を与えるにはインパクトに乏しいとでた。得意の国の財政改革、景気浮揚策について数字を駆使して語っても反応は鈍かった。
「このままでは選挙で負ける」。立候補時点では到底勝てないと思っていたが、下河原陣営の敵失もあって、追い上げている状況になると一転して欲がでてきた。有権者に1票を投じてもらうには、相当なインパクトのある行動、言語表現が必要だった。
田島陣営は急遽、日比谷の屋外公園で、個人演説会を開催することにした。演説では、徹底的に下河原を批判していく方針で臨む。北海道のミサイル着弾問題に十分な時間を割いて、最後に、日本海での「北方独国」との衝突についても、「下河原の自作自演である」と訴えることにした。日本海での衝突が「自作自演」だったとは、報道機関はどこも報じていない。田島自身も確たる証拠を持っていたわけではなかった。
虚実をおりまぜた、「飛ばし」の演説であったとしても、田島の発言であれば、マスコミもとりあげるだろう。取材で裏が取れなくても、「公選首相候補の田島が演説会という公けの場所で発言した」と書けばいいのだから。証拠もないままの発言は大変なリスクだが、一方で、下河原に大きなダメージを与える起死回生の一発になるかもしれない。もはやなりふり構っていられなかった。悪魔に魂を奪われた、と言われても仕方がないほど、理性からかけ離れた行動をとろうとしていた。
個人演説会の警察への届け出、支持者へのネットでの呼びかけは前日までにすませた。報道機関へも案内を出した。「田島候補がとてつもない爆弾発言をするようだ」「下河原政権がふっとぶぐらいの世紀のスキャンダルらしい」という情報を、ネットで流し拡散させた。
演説会当日は曇り空で、時々小雨がぱらついた。公園広場の前方に2台の大型選挙カーが並び、それぞれの屋根に設えたお立ち台に、田島と野党の代表や党首たちが分かれて立った。聴衆の数は1000人を超えた。支持母体の労働組合員も大勢参加し、会場のあちこちに「戦争反対」「打倒下河原」の旗や看板が掲げられた。
大神も取材陣の1人として駆けつけ、選挙カーから20メートルほど離れた場所に設置された報道席の最前列に座った。公選首相候補による演説会だけに、警察の警備は厳重だった。ネットでは「集会をぶち壊してやる」「爆破する」といった脅しの投稿があったことから、田島陣営は、複数の警備会社と契約して大勢の警備員を配置した。
応援演説が佳境に入り、最後に田島の順番がきた。大歓声が起きた。失点続きの下河原を猛追しているだけに聴衆は沸いた。日本のトップを選ぶ直接選挙だけに、国会議員選挙とか地方選挙とは比べものにならないほどの熱気だった。十台のテレビカメラが田島の姿を追った。
田島は大きく深呼吸をした後、話し始めた。
「選挙は大詰めを迎えました。下河原候補が主導しているさまざまな悪事が次々と明るみにでてきています。北海道へのミサイル着弾は、報道機関の調査報道で、下河原候補による『自作自演』であることがはっきりした。しかし、本人は認めていません。はっきり言わせてもらいます。下河原候補はごまかしだらけの嘘つきです。嘘つきに政治を、日本の将来を任せるわけにはいかない。また、民警団という組織を御存じですか。この組織による報道記者への暴力事件も頻発しています。死者もでています。民警団に巨額な補助金を出している下河原政権による報道弾圧は、民主主義の根幹を揺るがしています。下河原候補は日本の軍備拡張を進め、世界でもトップクラスの軍事大国にしようとしています。しかし、みなさん、唯一の核の被爆国である日本が、核兵器を保有するなんてことがあっていいものでしょうか。核を保有するということは使用するということなんです。私は断固、反対します。戦争に突き進み破滅の道を歩むか、時間がかかっても民主主義を根付かせて平和な世界を創造していくのか。この選挙はどちらかを選ぶ大事な選挙なのです」
田島はここでいったんマイクから離れた。のどがからからになり、水を飲んだ。自分の演説に酔っていた。聴衆からの大きな歓声と拍手が響き渡っている。これからが本題だった。日本海での「北方独国」との衝突事案について、下河原による自作自演であることを訴えるのだ。
田島はゆっくりと話し始めた。
「盛り上がり、熱量がすごい」。大神は、田島候補の訴えが聴衆に浸透してきていることを感じ、報道席から会場全体を見渡した。スマホをかざして写真や映像を撮る姿も多く見られた。ロックコンサートのような雰囲気になっていた。
ふと、大神の視線がひとりの人物のところで止まり、フォーカスされた。どこかで見たことがある男だ。記憶をたぐったがすぐには思い出せない。警備員の制服を着て帽子をかぶりサングラスをしているが、警備業務にあたっている様子はなかった。聴衆の中に入り込んでいるのだが、落ち着かない様子で始終、周囲を見渡している。大神は目を閉じて集中した。今目に焼き付けた男の顔を何度も頭の中で描き、記憶を呼び起こそうと試みた。いきなり、1人の人物の顔写真が浮かんだ。
香月照男。
大神の後輩の記者、橋詰圭一郎が襲われた事件で、傷害容疑で逮捕された民警団のメンバーだ。逮捕時に警察から配られた顔写真を大神は悔しくて何度も見返した。香月はその後の警察の調べで、殺害に直接関与していなかったとして釈放されていた。
香月がなぜ、ここにいるのか。次の瞬間、香月は空を見上げた。そして驚いたような表情を浮かべた後、選挙カーから遠ざかるように聴衆をかき分けて後ろに向かって走った。あちこちで香月と同じように走り去ろうとする男たちの姿が視界に入った。
大神も上空を見上げた。北の方向に米粒のようなものが見えた。旋回していた。不自然な動きをした後、上空で静止した。
「ドローンだ」。不吉な予感がした。「田島は公選首相にはなれない」。そう言った蓮見の言葉が頭をよぎった。「あれは報道用のドローンではない」。大神は報道席から立ち上がり、叫んだ。「危険です。みんな逃げてください。ドローンが怪しい動きをしています」。しかし、田島の演説の声に大神の叫びはかき消された。
大神は、選挙カーの方に向かって走った。警備員に止められそうになったが振り切った。上を向くと、静止していたドローンが徐々に高度を下げて、見た目にも大きくなってきた。
「田島さん。ドローンです。爆弾を積んでいる可能性があります」。田島の隣にいた民自党代表が大神の姿に気が付いた。大神が空に向かって手を挙げて指さしているのを見て代表も見上げた。
「ドローン爆弾です。危険です。逃げてください、早く」。聴衆に向かっても叫んでいた。民自党代表が田島からマイクを奪いとって、なにかを叫んだ。選挙カーのお立ち台に乗っていた5人全員の顔が凍り付いた。後ろの梯子型の階段から我先にと降り始めた。
大神はまた上空を見上げた。ドローンが、選挙カーに向かって急降下してきた。
「危ない」と叫んだ次の瞬間、ドローンは、選挙カーの屋根前方に突き刺さり爆発した。大きな爆発音が響き渡った。田島は後方の梯子階段の途中まで降りていたが、衝突の衝撃で、梯子をつかんでいた手が離れて地面にたたきつけられた。選挙カーの5メートルほど手前まで来ていた大神は爆風で吹き飛ばされた。さらに破片が腹部を直撃し、その一部が頭部にあたり、倒れたまま動かなくなった。選挙カーは大型トラックに追突されたかのようにぐちゃぐちゃに壊れ、火の手があがった。30人を超える聴衆が爆風や爆圧を受け地面に横たわった。血を流しうめき声をあげていた。
消防車と救急車が次々に到着した。救急隊員が倒れている人に声をかけていった。田島は全身を強く打っており、足は動かすだけで激痛がはしった。複雑骨折しているのは明らかだったが意識はしっかりしていた。大神は意識がなくぐったりしていて、救急隊員の声掛けにも無反応だった。
自爆型ドローンの狙いが田島だったことは疑う余地はなかった。田島が奇跡的に助かったのは、大神の「危険です」「逃げて」という叫び声があったからだった。その大神は全身に深い傷を負っており、腹部の損傷は深刻だった。救急車で運ばれ、入院した大学病院の集中治療室での緊急手術は長時間に及んだ。田島は、妻永野洋子や選挙関係者の手を借りながら車椅子で大学病院に駆け付け、医師からの報告を受けた。フロアで集まった記者に囲まれて会見に応じた。
「大神さんの手術は終わった。意識はまだ戻っていない」。田島が沈鬱な表情で語った。そして続けた。「大神さんが駆け付けてこなかったら私は間違いなく死んでいた。大神さんの意識が戻ることを願う」。そう言うとしばらく目を閉じた。そして怒りを含んだ強い口調で続けた。「選挙戦の最中に、私が死んで得をする人間は一体だれだ。有権者のみなさんはわかっていると思う。卑劣極まりない犯行を繰り返す巨悪を野放しにしてはならない」。名前は出さなかったが、ドローンによる攻撃を指示したのは、下河原だといわんばかりの発言だった。
日本で初めての首相公選選挙で、候補者が乗った選挙カーがドローンで爆破されるという前代未聞の事件のニュースは、瞬時に地球を駆け巡った。世界中の新聞、テレビ、ネットで大きく扱われた。
その中で、異彩を放った写真があった。選挙カーの前で右手で空を指さし、顔は選挙カーの上を向いて叫んでいる大神由希の姿を捉えた瞬間だった。世界通信社のカメラマンによるドローン爆発の直前の構図は、ウエスト合衆国の老舗新聞社の一面で大きく掲載された。「彼女は多くの人たちの命を救った」とキャプションがついていた。目を見開いた鬼気迫る表情に読者は釘付けになった。
この写真が拡散され、世界中で話題となり、議論を巻き起こした。「彼女はなぜ、逃げずにドローンの落下地点に向かったのか」「自分の命を犠牲にする意味がどこにあるのか」
ウエスト合衆国の全国放送のテレビで取り上げられ、著名な社会学者や宗教学者が解説をした。日本が民主主義国家から軍事独裁国家へ進もうとしていること、首相公選の最中であることを前提に、犠牲的精神を尊ぶ日本人の気質、他者を思いやる精神について歴史をさかのぼって説明された。いずれも、すとんとふに落ちる解説はなく、大神本人に聞いてみないとわからないという結論になった。
この写真は、少し遅れて日本に「逆輸入」された。海外の目を必要以上に気にする島国日本の国民の間でも、大神が咄嗟にとった行動に議論が集中した。大神が入院している大学病院には連日、多くのマスコミが押しかけ、日々の病状が「ニュース」として報じられるようになった。大神は、「時の人」となっていた。
手術から2日目。大神が目を開け、意識を取り戻した。絶対安静は続いていたが、医師や看護師の声掛けにうなずいたりするようになった。看護師が夜中に巡回で部屋に入ってきた時、目を覚ました大神が突然、声を発した。看護師が近づくと、消え入るような小さな声である言葉を口にした。そしてまた力を失って眠りについた。看護師は訳もわからずに大神の言った単語をすぐにメモにして医師に渡した。そのメモは警察に届けられた。
下河原は談話を発表した。「選挙戦のさなかにあってはならないことが起きた。犯人を一刻も早く逮捕して欲しい。警察の奮起を期待する」。大神記者の勇敢な行動についての感想を求められると、「自らの命を犠牲にしてでも人を助けようとした精神は立派の一言につきる。世界で称賛されている行動で、国民栄誉賞を贈るべきである」と語った。「ドローン攻撃は、田島氏をねらった下河原陣営によるものだという噂がネットで飛び交っている」と言う記者からの質問に対しては、「ばかげている。だが、冗談では済まされない。そんなでたらめな書き込みをしている人物を特定して訴える」と激怒した。
有力候補者が狙われたテロの発生を受けて、首相公選の投票を予定通りに実施するか延期するかに焦点が移った。下河原は会見を開き、「選挙は予定通りに実施するべきだ。不測の事態が起こるたびに投票を延期していたらいつまでたってもできなくなる。一刻も早く新しい公選首相を決めて、山積している難題を解決していかなければならない」と言い切った。
「いかなる事態が発生しても選挙は実施するべきなのか」と記者から聞かれ、「選挙は民主主義の根幹だと君らも言っているだろう。暴力によって選挙ができなくなるという事態は避けなければならない」と答えた。
その一方で、下河原陣営は田島が候補者としてもはや適格ではないとの主張を公然と始めた。「田島候補は重傷を負った。政権運営に欠かせない迅速、的確な判断が出来ないのではないか。公選首相の候補者として根本的な資格に問題がでてきた」と、与党の幹事長がテレビで語った。「選挙戦から撤退するべきだ」「激務には到底耐えられない。田舎の空気のいいところで、治療に専念するべきだ」との声も与党代議士の中から出た。
だが、田島は首を振って言った。
「車椅子でも執務はできる。立候補を取り下げるなんてありえない。選挙カーをドローンで狙うという暴挙を一体だれが犯したのか。すぐに突き止めなければならない。私は、選挙戦最終日のぎりぎりまで命を賭けて闘い続ける」
中央選挙管理委員会は投票を予定通り実施するという判断を下した。
(次回は、 ■投票直前の批判記事 確証はあるのか)
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小説「暗黒報道」目次と登場人物
目次
プロローグ
第一章 大惨事
第二章 報道弾圧
第三章 ミサイル大爆発
第四章 孤島上陸
第五章 青木ヶ原の決闘
第六章 暗号解読
第七章 戦争勃発
第八章 最終決戦
エピローグ
主な登場人物
・大神由希
主人公。朝夕デジタル新聞社東京社会部の調査報道を担 当するエ ース記者。30歳独身。天性の勘と粘り強さで' 政界の不正を次々と 暴いていく。殺人集団に命を狙われる中、仲間たちが殺されたりして苦悩しながらも、「真相の究明」に走り回る。
・下河原信玄
内閣総理大臣、孤高の党代表。核武装した軍国主義国家を目指す。
・後藤田武士
国民自警防衛団(民警団)会長、元大手不動産会社社長。大神の天敵。
★朝夕デジタル新聞社関係者
・橋詰 圭一郎
東京社会部調査報道班記者。大神の1年下の最も信頼している相棒。
・井上 諒
東京社会部デスク。大神の上司で、大神と行動を共にする。
・興梠 守
警察庁担当キャップ。
★大神由希周辺の人物
・河野 進
「スピード・アップ社」社長。下河原政権の広報・宣伝担当に就任。大学時代の大神の先輩で婚約者だった。
・岸岡 雄一
「スピード・アップ社」のバイトから取締役へ。子供の時から「IT界の天才」として知られる存在。
・伊藤 楓
インターネット会社「トップ・スター社」を創設した伊藤青磁の長女。大神に憧れて記者になる。
・鏑木 亘
警視庁捜査一課警部補。夫婦とも大神のよき理解者。大神が時々夜回りに通う。
・永野洋子
弁護士。大神の親友でよき相談相手。反社会的勢力の弁護を引き受けることもある。
・田島速人
永野の夫で元財務官僚。総選挙で当選し、野党「民自党」副代表になる。
★下河原総理大臣周辺の人物
・蓮見忠一
内閣官房副長官。元警察庁警備局長。報道適正化法(マスコミ規制法)制定の責任者。
・鮫島 次郎
内閣府特別顧問兼国家安全保障局長。下河原総理の指示で、最新鋭のミサイルとドローンの開発にあたる。いつも紺色仮面を被っている。
・江島健一
民警団大阪代表から、民警団本部事務局長になる。
・香月照男
民警団員。精鋭部隊入りを目指している。
★事件関係者
・水本夏樹
スーパー美容液を売るマルチ商法の会社経営者。会社倒産後、姿を消していた。
・水本セイラ
水本夏樹の一人娘。知能指数が際立って高い小学3年生で、謎の多い少女。