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楽しさや安心を感じてしまったら、その後つらいことに立ち向かうのが余計つらくなるから癒しはいらないという考え

題名に書いた気持ち、なったことないですか?


「次の日仕事で朝起きるのがしんどいから、ベッドより深く眠れないけど起き上がりやすいようにソファーで寝よう。」

とか、

「仕事が苦痛だけど、友だちに話を聞いてもらって気持ちが軽くなったり優しい言葉をかけてもらったりしたらそのギャップで、つらい仕事に向かうことがもっとつらくなりそうだから連絡とるのやめよう。」

とか。


日々追われていると、
「自分を癒す」ということよりも
「心理的な負担を減らそう」ということに偏ってしまうんですよね。


健康的な考えなら、
「少しでも良質な睡眠を得てまた明日頑張ろう。」
とか
「つらいことを誰かに話して気分を軽くしよう、励ましてもらおう。」
となるけれど、
ギリギリの状態で頑張らなきゃいけない、という状況だとそれができなくなることがある。


「そんなことをしたところでつらい明日はくるし、楽しいと思える余裕もない。」
とも思ってしまう。

もっと鬱が酷いところまでいくと、
「自分なんて楽しんではいけない、楽しむ価値もない人間だ。」
などとなってしまう。



機械もそうだけど、人間も、エンジンをかける時が1番エネルギーを使いますよね。

だから一度気がゆるんでしまったらもう再スタートできない、それなら気を張っている状態をキープしておかなきゃ!
と思い込んでしまう。


私は今まで、その気持ちになったことが結構あります。
結構あるというか、子どもの頃からずっとそんな感じで生きてきたなと最近気づきました。

自分は何が好きかとかよく考えたことがなかった。



今年に入って双極性障害の症状がだいぶ落ち着き、
自分が楽しいと思えることや安心できることはなんだろう?とよく考えたり探したりそれを実行したりしてやっと、
「自分が興奮することや気持ちがほぐれることをするのって、生きていくうえですごく糧になるんだな。」
とわかりました。


それに、自分を癒す時間を作らないと
そもそもエンジンをかけるためのエネルギーがなくなっていく、とも気づきました。


人生25年目にして。



今まで、「頑張るしかない」という限界が決まっている思考でしたが
今は、「疲れたら自分が癒されることをしてまたエネルギーを蓄えればいい」という融通の利く思考になれました。


双極性障害になってよかったことの1つに
これが入っています。
(当然病気はならないに越したことはないですが)

本当に今まで色々あったし簡単じゃなかったですが、
双極性障害になったことで「気のゆるめ方」を
知ることができました。



精神疾患になると、
「気分転換でこれしようと思うけど逆に具合悪くなったりしないかな?」
って思うじゃないですか。

久しぶりに外出したらものすごく具合悪くなった、とか。

その日の体調も賭けみたいなものだし。


そんな感じで不安に感じながら億劫ではあったけど、
ちゃんと外に出て人に会ってみたら楽しくて息抜きができたし
ちょっと「生きよう」と久しぶりに思えたので、
この話を書きました。


症状が落ち着いているとはいえ、
ここ最近結構具合が悪くてつらかったので
息抜きができてうれしかった。




読んでくれている貴方も
私がしていた思い込みを持っているなら、
「それは自分の首を締めているかもしれない」
と伝えたい。



自分は何が好きなのか、何が欲しいのか、何をしている時に気が休まるのか、
意識的に考えて取り入れていきたいですよね。


「何も楽しく感じない」ところまで行ってしまうと
本当になかなか戻ってこれないので。





(画像は、最近ファミマで見つけたマカロン。
節約しなきゃですが、私はマカロンが大好きなので即買いしました。明日死ぬかもしれないしね。美味しかったので、おすすめです。)

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