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その時その時の感情や判断は、すべて本物。

自分は病気だと言い聞かせて休みに専念した方がいいときもあるし、
あまり病気だからだと意識しない方がいいときもある。



こんなことしてる暇があったら運動やら読書やらためになる事をしよう!と思えるときもあるし、
もう全てが無理だし動けないというときもある。



ちょっと無理してお風呂に入った方がいいときもあるし、
あきらめて横になっていた方がいいときもある。



焦らず自分に優しくしよう!と余裕も持てるときもあるし、
こんな状態では生きていけない全てがもう終わりだ、というときもある。



自分のこういうところ結構好きだなと思えるときもあるし、
自分なんてどこに長所があるんだ、人が長所だと言ってくれるところがあったとしても自分はそれを長所だと思えない、というときもある。



周りの人に感謝の気持ちが湧いてくるときもあるし、
ありがとうと思える余裕もないときもある。



この人がいれば、これがあればなんとか生きていける!というときもあるし、
人はいずれ皆離れていくしこんなものがあったって結局は何も変わらない、というときもある。



あの人はあの人で事情があったんだろうし他人に期待しても仕方ないから昇華していこう、というときもあるし、
あの人のことは絶対に許せない許さないこんな自分にさせやがって、と恨みや悲しみにとらわれるときもある。



強い意志を持っていた方がいいときもあるし、
何も考えず流れるままに過ごした方がいいときもある。





「頑張ろうと決めたのに、最近は全然頑張れていない」
「過去のことを受け入れられたはずなのに、また許せなくなってきた」
などと、
ある状態をずっと維持できるわけではないですよね。


「頑張りたい」 「受け入れたい」
と思うがゆえに、
それができない自分のことが認められず
自分がわからなくなってくる。


でも、
自分というのは、一つの型にはおさめられないんですよね。

その時その時の感情や判断は、すべて本物。

できる自分もできない自分も、
どんな自分も、本当。




それに、

「やりたいと思うのにやりたくない」
「好きだけど嫌い」
「さみしいけど一人でいたい」

などと矛盾する感情である

(両価感情)

というのも人間にはある。




親との愛着形成に問題があった人などは
これが強い傾向にあるらしい。


両価感情というのは受け入れがたいし、
どうしたらいいのか理解に苦しむし、
疲れますよね。
私もわかります。



でも、
このことを本で読んで知ったときに

「今までのは両価感情というものだったのか。
おかしい感情ではなかったんだ。」

自覚できてから、
色んな場面で自分の感情への対処がしやすくなったと感じます。



一言では言い表せない自分の状態も許容しよう

という心がけを持っていれば、
少し生きやすくなるかもしれないですよね。




(画像は、昨日作った茄子の煮びたし。茄子を焼いて酒と生姜チューブとめんつゆを入れて煮ただけのもの。)

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