精神疾患が理解できない人の感覚
今日もベッドからこんばんは。
「精神疾患のつらさがわからない人って、どんな感覚なんだろう?」
「なぜ理解できないんだろう?」
って不思議に思ったことはありませんか?
私は昔から繊細で不安定なところがあったので
双極性障害になる以前も、
「精神疾患とか意味がわからない」とも
「その人が弱いだけだ」とも思ったことがなかったので、
根っから理解できないという人もいるということが不思議でした。
今もあまり納得できないというかしたくないというのはあります。
人に期待しても意味はないけど、
つらいから、身近な人や好きな人にはやっぱりわかってほしい。
理解が得られないというのは、
さみしいし苦しいですよね。
そこで私は
理解されないつらさを、
理解できないという人側の感覚を理解することで少しは和らげられるんじゃないか
と考えました。
理解を得られないつらさ、寂しさ、苦しさから
何かを生み出したい。
わかってもらえないなら逆にわかろうじゃないか。
そして自分なりに考えた結果、
精神疾患である人とそうでない人の感覚を
こういう状況に例えられるかも、というのを
思いついたのでそれをしゃべっていきます。
(※精神疾患を理解しようとしてくれる人や寄り添ってくれる人には感謝しています。)
私は、
精神疾患の人とそうでない人の感覚の違いを
【チーズ】と【芸能人のバンジージャンプ】
で勝手に例えました。
まずは【チーズ】なんですが、
チーズが元々好きな人は
チーズが苦手で食べられない人が、
チーズの何がどのように苦手なのかわからない。
「この匂いとか味が無理なんだろうなあ」と頭ではわかったとしても、
チーズを好きな人はどう頑張っても不味いと感じられない。
それに、
チーズが苦手という人でも苦手の度合いがちがったり、種類や食べ方によっては大丈夫という人もいる。
そして、
精神疾患になってしまった人は
「元々チーズが好きだったのに何らかの原因でチーズが苦手になってしまった人」に例えられる。
元気に動けた頃の自分のことはなんとなく覚えているけどその頃の感覚にはもう戻れないように、
「自分はチーズが好きで美味しく食べていた」
という事実は覚えているけど
もう美味しいと思えないからチーズを食べて幸せになっていたときの気持ちは再現できない。
精神疾患を治そうと無理して行動すると
逆に悪化してしまうように、
無理やり克服しようとチーズを食べてみても
吐いてしまったりさらに苦手になってしまったりする。
嫌いな食べ物を克服したいと思っても、どうすればいいのかわからない。
具体的で絶対的な対処法もない。
色んな方法を試しても、やっぱり無理だとなることが多い。
チーズを好きになれない🟰弱い、ダメ
ではない
とわかるし、
チーズが好きな人はそりゃチーズが食べられない人の気持ちはわからないよな
と少し諦めがつきませんか?
自分が精神疾患をなかなか治せないのも、
健康な人が精神疾患のつらさがわからないのも、
どちらも仕方がない。
思うようにいかない日々が続くから自分のことを責めてしまうし、
すごくつらいからわかってほしいって思っちゃうんだけどね。
「いやいや、全然仕方なくないし頑張れば食べられるでしょ。やっぱり気合いが足りてないんだよ。」
などと言う人もこの世にはいるけど、
苦しんでいる人に対してそんなことを言う人は
人ではないので。
さようならしましょう。
精神疾患のつらさを好き嫌いで表すのは軽いというのはあるけど、
身近な例えでわかりやすいし
ちょっとは的得てませんか…?
そんなことはない?
(ちなみにチーズに設定したのは、私がチーズが食べられないからです。自分の苦手な食べ物に置き換えて考えてみてください。)
🧀
【芸能人のバンジージャンプ】では
「精神疾患になったことがある人じゃないとわからない」ということと、
精神疾患の人に対してやんややんや言ってくる人のことを例えられるなと考えました。
よくテレビで芸能人が、
バンジージャンプをする企画ありますよね。
その時に恐怖でなかなか飛べない人もいるじゃないですか。
やったことがある人じゃないとバンジージャンプが実際どれだけ怖いかがわからない
(やったことがあっても怖くないし楽しいという人もいるけど)。
相当怖いんだろうなあと思ったとしても、
それもあくまで想像。
それに、芸能人の悩みは芸能人同士でしかわかり合えない共有できない。
精神疾患になったことがある人しかわからないというのと同じ。
そして、
恐怖でなかなか飛べない人を見たときに
「どうせテレビだから怖がるふりしてるだけだろ。大げさだな。」
とか
「俺私だったら絶対すぐ飛べるけどな。」
とか
「俺私も高いところ苦手だけど仕事ってなったらさすがに飛ぶわ。」
とか
「バンジーやったことあるけど俺私は全然へーきだったけどねー、弱いだけでしょ。」
などと言う人は、
精神疾患のつらさを想像することができず見下してくる人に例えられるなと。
そうやってテレビでバンジージャンプをするという当事者側にいないから
その現場が実際どんな雰囲気なのか、
飛ぶことがどれだけの恐怖なのか、
背負ってる苦悩とかプレッシャーはどんなものなのか、
何もわからないし何とでも言えるんですよね。
バンジージャンプしたことがあってもなくても
「この人にとっては相当こわいことなんだろうなあ。。」
となるし、
芸能人になったことがあってもなくても
「芸能人も大変なんだろうなあ。。」
となりませんか普通!?!
まあ色んな人がいるから仕方ないんですけどね。
えらそうに上からものを言えちゃう人たちって嫌いとか以前に本当に人として尊敬できません。
精神疾患に限らず
自分がやったこともないのに、その人になったこともないのに、
余計な口を出してくる人っているんですよね。
同じ経験でも人によって感じ方はちがう、
ということが大人になってもわからない人が
いるんだなと不思議な気持ちになります。
見えてる世界が狭くて、浅はか。
想像力も配慮もない。
そんな人たちによって傷ついてる人たちがいると思うと、許せないし許さない。
呪ってやります。
私の言葉で包んで守りたい。
…そして私も、そうやって相手を傷つけるようなことは言わないにしても
チーズが好きな人の気持ちをわかることはできないし、
バンジージャンプをしたことがないからその時の感覚もわからないし、
芸能人になったこともないからその大変さもわからない。
だから、
こうやって私がわからないように、
精神疾患になったことがない人は精神疾患のつらさがわからない。
良い人であっても、精神疾患が理解できない人はできない。
自分がわからないように、
この人も「本当にわからないんだ」ということがわかれば、
人に期待してしまう気持ちが少し薄くなりませんか?
🪂
ということで
【チーズ】と【芸能人のバンジージャンプ】に当てはめて考えてみました。
なんか変なことしゃべってる気がして不安になってきた。
ちなみに鬱が治っていく過程は、
歌を覚えるまでの過程に似てるなと考えました。
何かに例えて物事を見ていくと、
より可視化されて頭が整理されるから
気分が軽くなったりしますよね。
しんどいこと、しんどい人に出会ってしまったら
それらを何かに例えてみるといいかもしれませんよね。
アニメのシーンに例えるとかね。
貴方は、
あの状況とあの状況ってイコールだな
ってこと、何かありますか?