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精神疾患は気持ちが鬱、とかではない、思考回路自体が鬱。
こんにちは。
今は実家にいます。
何もできていません。
でも、何もできていないと言ったけど
前はできなかったのに最近は家族の夕飯を作ったり大量の洗い物をしたりできているな、と
昨日気づきました。
生きていこうという活力を増やすためには、
「よくやったぞ!」「これができるなんてすごい」「これでいいんだ」
などと大げさなほどに自分に対して声をかけていくことが必要なんですよね。
そうやって自分を大切に柔軟に考えられるようにはなりましたが、
やっぱりまだ「死にたい」「死ぬしかない」という気持ちに支配されるときは多々あります。
過去に鬱が一番ひどかった時期は、
自分はまったく価値のない人間だし存在しているだけでつらいしもうとにかく理由があってもなくても苦しすぎるから死にたい、
という感じでしたが
最近は死にたいというよりも
これから先も頑張らなきゃ生きていけないけどそんなこともうしたくないしできないから普通に考えて死ぬしかない、
という考えになっています。
周りに助けられながらのほほんと生きていけばいい、とも思えるようになりましたが
自分の力で自分の理想の人生を歩めないなら死んだ方がいい、という気持ちの方が断然強いです。
何かを頑張れるなら頑張りたいし
楽しめるなら楽しみたいけど、
それができないことによる悔しさ悲しさやるせなさが深すぎて、
そう思ってしまうんですよね。
希死念慮さえも自分の大切な一部として受け入れているけど、
「死にたい」「死ぬしかない」と思いながら生きることは想像以上に疲れる。
胃が限界でもう食べたくないし食べられないのに食べなきゃいけないって苦痛でしかないからね。
それと同じだよね。
次は自分のどの考え方を改めればもっと楽になれるんだろう、
体に栄養とか良質な睡眠が足りてないのかな、
何か熱中できることがあれば楽しく生きられるのかな、
したことがないことをしてみれば人生が良い方向に変わるかもしれない、
とか考えることも疲れてしまうときがあるよね。
頑張れば良い成果が得られるわけではないのがつらい。
だからといって頑張らないということも難しい。
いつか終わる人生だからせっかくなら楽しみたいのにね。
楽しめるように頑張るってなんなんだよ。
頑張らなくても楽しめる体でありたかったよ。
とか思うけどそう考え出したら終わりがないからね。
自分の苦しみが紛らわせられること、
自分が癒されることに集中しよう。
もうそれが何なのかすらわからないとこはあるけどね。
私は意地でも、自分を幸せにしたい。
精神疾患に逆らってねじ伏せていきたい。
私は強い。
(双極性障害になったのは自分からのSOSのサインだし、色んなことを知るきっかけになってくれてありがとうとは思っているよ。自分の体、今まで頑張ってくれてありがとう。)
画像は、最近「生きててよかった」と思えたときの。子どもの頃ぶりにパズルをやった。ビールを飲みながら何も考えずに過ごせた。こういう瞬間を増やしていく作業が、人生。