
『「何も教えてくれない」と「何でも教えてくれる」の間で得たもの』を読んで考えたこと
こんにちは
イデアレコードの左川です。
久しぶりにリクルートワークス研究所のサイトを訪れたら、読み切れないぐらいの量の記事が公開されていた。とりあえず気になったタイトルの記事から順番に読んでいくことにした。さっそく見つけたのが『「何も教えてくれない」と「何でも教えてくれる」の間で得たもの』である。
かつてビジネスでは「何も教えてくれない」が強く存在する世界であり、そこで自ら動いて覚えていくというのが「普通」であった。なぜなら簡単に教えられたものは身体には身につかず、自分の糧として覚えきちんと使えるようになるには自分で気づき、覚えていく必要があるという考えが根底にあったからである。
だが、時代は変わった。
業務内容とフローを明確にして、すべてを手取り足取り教えていくことが求められる傾向が強くなった。それを否定すること自体が「老害」と揶揄されることもよくある。いったいどうしたものかと多くの中高年は悩んでいるに違いない。
そんな中でこの記事を読んだわけである。
こうして両極端の指導を経験した私が学生を指導する立場になった今、私のスタンスはどうなったと思いますか。私自身は、「教え過ぎない」ように気をつけています。研究者とは、最終的に独立してやっていかなければいけないという宿命を持っているからです。私が道を作るのではなく、本人がたどり着いた、発見したということ、そこから得られる感激を損なわないようにしたい。
一方で、目の前の学生と対峙してみると、オストロム先生ほどに何も教えないと前に進めない場合が多いことにも気づきました。それぞれの学生の性格や置かれた状況を私なりに解釈したうえで、このぐらいまでは背中を押そうというような匙加減を大切にしています。
折衷案的な感じではあるが、一番現実的なんだろうなとは思う。「何も教えてくれない」と「何でも教えてくれる」はどっちにもメリットもデメリットもある。その中でいいとこどりをするのが大切だ。「前に進める」とこるまでを後押ししてあげる、それが今の時代にも合っているのだろう。
今の子たちは教えられたことをすぐに吸収する能力は長けているように思う。もちろん単に教えられたことをそのままでしかできないのか、それを自分のものとして応用できるか、は分かれる。すべてのパターンをマニュアル的に覚えていくことも出来るとは思う。だが、そのパターンを網羅的にやっていくのか、基本を覚えたうえで応用していくのか、どちらがタイパがいいのかは自明であろう。