『「何も教えてくれない」と「何でも教えてくれる」の間で得たもの』を読んで考えたこと
こんにちは
イデアレコードの左川です。
久しぶりにリクルートワークス研究所のサイトを訪れたら、読み切れないぐらいの量の記事が公開されていた。とりあえず気になったタイトルの記事から順番に読んでいくことにした。さっそく見つけたのが『「何も教えてくれない」と「何でも教えてくれる」の間で得たもの』である。
かつてビジネスでは「何も教えてくれない」が強く存在する世界であり、そこで自ら動いて覚えていくというのが「普通」であった。なぜなら簡単に教えられたものは身体には身につかず、自分の糧として覚えきちんと使えるようになるには自分で気づき、覚えていく必要があるという考えが根底にあったからである。
だが、時代は変わった。
業務内容とフローを明確にして、すべてを手取り足取り教えていくことが求められる傾向が強くなった。それを否定すること自体が「老害」と揶揄されることもよくある。いったいどうしたものかと多くの中高年は悩んでいるに違いない。
そんな中でこの記事を読んだわけである。
折衷案的な感じではあるが、一番現実的なんだろうなとは思う。「何も教えてくれない」と「何でも教えてくれる」はどっちにもメリットもデメリットもある。その中でいいとこどりをするのが大切だ。「前に進める」とこるまでを後押ししてあげる、それが今の時代にも合っているのだろう。
今の子たちは教えられたことをすぐに吸収する能力は長けているように思う。もちろん単に教えられたことをそのままでしかできないのか、それを自分のものとして応用できるか、は分かれる。すべてのパターンをマニュアル的に覚えていくことも出来るとは思う。だが、そのパターンを網羅的にやっていくのか、基本を覚えたうえで応用していくのか、どちらがタイパがいいのかは自明であろう。