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「「熱意」は仕事に必要か?」を読んで考えたこと

こんにちは
イデアレコードの左川です。

昔から「プロであればいかなる状況においても成果にコミットしろ」ということはよく言われてきた。体調不良とかやる気というのは理由にはならないという風潮もあったのは事実だ。だが今の世の中、仕事の熱意が少なくても一定以上のパフォーマンスを出す人材が増えている、もっと言うと昔からも存在していたけれど、それが明確化されてきたという方が正しいかもしれない。そんな中でリクルートワークス研究所の「「「熱意」は仕事に必要か?」を読んで、備忘録をとして考えたことをまとめておく。

反労働観的な自分の仕事の見方やスタイルを貫くために、成果を挙げたいと思っている。仕事に「興味があるないとか」には本質的に関心はないが、結果や成果を重視したい。ある種の“逆説的な”成果主義が上記の回答者たちの意見からは顔を出している。なお、仕事への熱意や楽しさ(エンゲージメント)とその仕事におけるパフォーマンスの関係についてインタビューで聞いたところ「強く関係する」という意見もあれば、「関係しない」、そして「関係する人もいるが関係しない人もいるのでは」という意見があった。

筆者は、エンゲージメントとパフォーマンスの関係は、人によってかなりの差がありうると考えている。例えば、エンゲージメントの高低は影響せずパフォーマンスは高いという就業者を、熱意が持てるかどうかといった不確定な要素に影響されずに高い成果を挙げ続ける職人肌の“プロフェッショナル”と呼称しておこう

リクルートワークス研究所「「熱意」は仕事に必要か?」より抜粋

プロフェッショナルという言葉でイメージされるのがスポーツ選手だ。彼らは結果がすべてあり、「やる気がない」とか口にすれば、スタメンから外されるようなシビアな世界で生きている。イチローがインタビューの中で50%しか出せない状態であってもその中で100%を出すことを常に意識していると語っていた。ここでいうプロフェッショナルとはこういった人材であろう。

いずれにせよ、仕事への熱意、仕事へのエンゲージメントに対して多様な受け止めがあることが認識されている。その一方で、インタビューをした多くの方から「そんなに仕事を楽しんでいる人がいるんですね」「大多数が自分と同じ、仕事にはつらいことしかないという感覚だと思っていました」と回答していたことは印象に残っている。実際は正規分布である、つまり両方がいるにもかかわらず、自分と同じ仕事観の人間が多いのではないかと感じている。それは逆の立場の、仕事を楽しもう・楽しんでこそと考える人も含め、自分の仕事観が多数派であると感じやすいのだろう。

日本の企業・労働社会において、働く人のエンゲージメントは、生産性や働く人のやりがいの観点から、重要だとみなされている。しかし、本稿で見られたように仕事へのポジティブな認識や熱意とパフォーマンスの関係には大きな個人差があるかもしれない。仕事に熱意がないことは必ず悪いことなのか、一考してみる価値があるのではないだろうか。

リクルートワークス研究所「「熱意」は仕事に必要か?」より抜粋

今の社会においてはエンゲージメントが重要されているが、だんだんとそれだけでは成立しなくなってくるはずだ。まず何をもってエンゲージメントが高いと定義するかが重要である。労働時間長いからエンゲージメントが高いとはならないし、パフォーマンスが良いとも限らない。会社や仕事に対する情熱があるかどうか、としても何をもって情熱があるかと決めるのかも難しい。今の若い子はコミュニケーションが高く、情熱がある体をすることもできる。仕事やライフスタイル自体が多様化している中で、そもそもエンゲージメントを持たないような人も増えてくるであろう。一方、パフォーマンスについては様々な指標から算出することはできるはずだ。

企業が「エンゲージメントを高めよう」と活動することは重要であるが、同時に「熱意に関係なくパフォーマンスを出せるようにしていく」ことの必要性も高まっていくであろう。


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