其責任は我店が受けなければならぬ ~三越の古典に学ぶ その17~
商売に苦情は付きものである。現在では、テナント販売や委託販売ばかりとなり、お客様からの苦情は直接百貨店側に入ってこない。もしくは入ってきても、取引先に苦情対応を任せてしまっていることがほとんどのようである。
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◎真物を贋物なりとの苦情
是も亦近頃のことであつた。地方の客から渡邊省亭市の蓬莱山の書を注文され、早速之を郵送した。
私の店の書画は直接に筆者に揮毫を依頼したものである。其の間に贋物などの出来る理由がない。此点は私の店の誇として居るのである。然るに此客は書幅が着くと同時に非常にやかましい苦情を申込んで来た。夫れは此の書幅は省亭氏としては図柄も運筆も如何にも拙劣である。落款も違ふて居る。三越ともあろうものが斯かる贋物を売るとは甚だ不埒であると怒り、尚傍に仮令如何なる申込ありても自分は決して此品を貴店員にはお手渡しせぬ。何時迄も贋物として保存すると云ふて来た。贋物であるべき筈がないのに斯の如きことを云はれては、仮令誤解にもせよ、三越の信用に係ることである。私は折返し『決して贋物などをお送りした覚えはない。何かの間違であらうと思ふ。兎に角調査してご迷惑にならぬ様に取計ふ。一応現品を見ねば如何とも致し方がない。三越を信用せぬとのお申越であるが若し三越を御信用ならぬならこの日比を信用して貰ひたい。決して間違を起さぬから。』と云って借用証書を同封して郵送した。
◎真正の書幅に筆者に証明さした実例
客は私の意を諒としたか、兎も角現品を郵送してくれた。見れば一点の疑ひもなく省亭氏の筆になつたものである。是を贋作と称するは標準にした他の書幅が間違つて居たのであらう。
美術部の主任に見せると是又疑ふ所がないと云ふ。即ち省亭氏に就て氏の真筆なる証明を与えることを乞ふことにした。
最初は軸の箱に証明を乞ふ積りであつたが、イヤ待て、箱は自由に取替へることがで出来る。万一にも客をして三越は中身をすり替へたといふ疑念を挟む余地あらしむることは不得策であると気がついたので、幅の裏面に記入して貰ふことにした。省亭氏は事情を聞き、快く書幅の裏面に蓬莱山を書くに至つた動機を記し且つ自筆であることを証明せられた。
最早一点の疑ふべき余地がない。
私の店員中にもこれは好個の紀念品である。私にも余にもと分与を迫るものがあつた。
私は直に之を郵送させた。而して同時に斯く筆者が証明する以上は最早一点の疑もあるまいと思ふ。何卒三越は決して贋物を売るものでないと云ふことだけを御諒解願ひたい、この幅は一応御覧に供するが御不用とあれば代金を御返し致しても宜しく、又他に御希望の品あれば夫れと引換へて差上げてもよろしい。店内にも希望者が多数ある故…とのを通知した。
客は深く其不明を恥ぢ迷惑をかけたことを詫び、書幅は紀念として是非買入れたいからとのことで、無事に終局を告げた。是はもとより一二の例に過ぎぬけれども私は店の商品に対しては厳密なる注意を払ひ、信用の維持に対しては極力●瘁して居る。仮令僅に一人の客でも人をして三越の商品は疑はしいといふ疑ひを起さしむるとは私の堪へ得ぬ所である。殊に私は如何に注意を払ふとは云へ、直接に工人の傍に居て監督するのではないから、如何なる誤を生ぜぬとも限らぬ。而して其責任は我店が受けなければならぬ。従つて品質に就ては私が平素最も厳重に監督して居る。
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館としての信用を大切にするならば、百貨店が前面に立って苦情に対応することが本当は必要なのではないかと思う。苦情対応も取引先に丸投げするのであれば、ファッションビルや駅ビルと変わらない。高い利益率を求め、賃料を求める一方で、こうした対応をしないのあれば、取引先からも相手にされなくなる恐れさえあると思う。