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決めつけず、今を理解し続ける組織開発

コミュニケーションの本質は、相手理解にあると言われます。ここには、相手を理解するだけではなく、相手に理解されるという2つの側面があります。しかし、往々にして後者は忘れがちになります。とくに『キャリア面談』や『1 on 1ミーティング』を強要される組織では、留意が必要だと思われます。

相手を理解するには、一定の努力が必要です。しかし、心から「理解したい」と思うケースは、そう多くはないでしょう。「やらなければならいことはわかっているのだから、素直に従えばいいじゃないか」「わがままを言ったってしょうがないだろう」「能力(才能)がないんだから無理だろう」などなど、相手に言いたいことはたくさんあるでしょう。それでも、その気持ちを押し殺して“寄り添おう”と努力すると、コントラフリーローディング効果に陥ります。

人(動物もそうらしいのですが)は、何かを得るために努力や苦労を払うことを好むという心理的傾向を持ちます。同じ報酬でも、何の努力もせずに手に入る報酬よりも、何らかの対価や苦労を払って入手した報酬の方を好むのです。例えばIKEAは、この効果を利用して、敢えて、顧客が、自ら倉庫から運び出し、説明書を読み、持ち帰り、組み立てまで行うように仕向けています。こうすると、出来上がった家具に対して特別な愛着が生まれ、本体そのものの価値よりも高く評価するからです。

ここで、相手理解を進める方法として多く採用されるのが、相手のキャラクターを決めつける方法です。「多分、こういう人物だろう」と、一旦、決めつけると、それに当てはまる事実を探し出します。そして、そのキャラクターに合うように事実を解釈し出します。このように決めつけを重ね、納得度を高めていきます。さらに、これは相手理解の最も安易な方法なのですが、自身にとっては相当の努力を要します。つまり、「私は相手理解に努めた」という誤解が、コントラフリーローディング効果により、一層、キャラクターを強化していくわけです。

ところで、『キャリア面談』も『1 on 1ミーティング』も、相手の成長を促すために行われます。成長とは、多くの場合、一定の尺度のもと、行動変容によって評価されます。すなわち、相手が“変わる”ことを前提にしているのです。しかしキャラクター化は、それと矛盾する「相手の固定化」です。

徳川家康も、長らく“たぬき”と称されてきましたが、最近の研究では“うさぎ”だったのではないかという解釈が主流です。『どうする家康』を書いた古沢良太氏は、才ある歴史解釈で最新の学説を表現していました。また松本潤氏も、自身の個性を上手く使いながら、“うさぎ”が“たぬき”と称されるプロセスを演じていました。しかし、「家康=たぬき」と、自身の中で強固なキャラクターを作り上げてしまった“大河ファン”には、このドラマは受け入れ難いものだったようです。

現実の人物は、キャラクターとして理解できる程度に単純ではなく、そして変化し続ける存在です。それは、自分自身を振り返ってみれば、容易に理解されることでしょう。例えば、「パンタ・レイ」とは万物は流転するというヘラクレイトスの言葉ですが、鴨長明もまた、「方丈記」で世の移ろいを表しました。あるいは科学分野でも、クロスモーダル現象が、五感はそれ単体で感じているのではなく、他の感覚からの影響を受けていること、そしてそれが経験に左右される(風鈴の音を聞いて涼しさを感じる文化の経験がなければ、風鈴の音で涼しさは感じない)ことを示しました。同じものに見えても同じではなく、すべては変化しているのです。

自身が相手を決めつければ、相手もまた自分を決めつけてきます。決めつけ合いの先に、果たして“理解”はあるのでしょうか。ゆく川の水が絶えないのであれば、「理解した」という結末は訪れることがないと受け入れ、「理解する」という”今”を続けていくという行為が、コミュニケーションなのではないかと思います。そして、このことを理解することが、“相手理解”なのだと思うのです。

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