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何かに抗う前を考える組織開発

文化とは、「社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体」と説明されています。したがって組織文化も、その組織に根付いた何らかの様式を指すということでしょう。つまり組織文化は、組織が形成されて一定年月を経なければ形成されないものと理解できそうです。それでは、スタートアップ企業には、何があるのでしょうか?

人類史においては、文化の前に文明があります。では、文明とは何でしょうか。文明が発生するには、「農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農産物の生産がなければならない」とされています。例えば、植物を手にいれたければ、それが生えている場所に行かなければならない。しかし、そこにそれが確実に生えている保証はなく、生えていたとしても十分な量とは限らない。そのような自然に抗い、人間の都合で収穫できるようにすることが、文明の前提だということでしょう。そして、それを可能にする様々なもの(灌漑・社会秩序など)の発明をもって文明の始まりと解釈しているように思われます。そして、風雨という自然に抗う建造物を造るなどが行われることで、「文明は発達した」と定義するのでしょう。

このように、自然に抗うことを進歩と定め、今日までの歴史が刻まれてきました。これを踏まえるなら、スタートアップ企業は、何に抗うのでしょうか? 多くの場合、何らかの不便に抗うということに主眼を置いているように見受けられます。しかし、自然に抗った結果、人新生と呼ばれる時代を人工的に形成してしまったことへの反省が、地球環境という視点で、今、問われています。また、社会が自然から離れることによって、自然の一部である人間の生態にも変調(心的障害、花粉症など)が現れています。通販では「すぐに使えない」という不便を解消するために宅配が発達し、店舗では在庫リスクという不便を解消するために多頻度小口配送が標準化され、結果的に物流業の疲弊を招いています。

文明(不便の解消)は、これからも進歩すべきなのでしょうか、それとも後退すべきなのでしょうか…。複雑なことを考えるのは大変で、嫌になります。だからといって、複雑なものを複雑なまま理解しようとせず、単純化されると、また新たな歪みを生んでいきます。世界的に巻き起こる格差あるいは分断も、元を辿れば単純化によって引き起こされているようにも思えます。

だからといって「そもそも論」から始めることは、あまり建設的ではないようにも思えます。例えば自律型組織を創ろうとして、「そもそも自律型組織とは?」と問うことは、ある意味、「自律型組織とはこうあるべきだ」という硬直的な思考を生んでいくでしょう。必要なのは、今、この瞬間に自律的であることが求められているのだと思います。『アンメット』で川上ミヤビは、「積み重ねがないと、今の気持ちが直感でわかる」と言っていますが、何かに抗うときに見過ごしたくない姿勢を現しているように感じます。

環境に配慮した取り組みや、自分が欲しいと思った商品の開発案件は、営業的に成功するとマスコミが取り上げたりします。そして経営者に「なぜ、作ったのか?」と問うと、大抵、「時代の要請」と答えているように見受けられます。しかし、本質は従業員の「やりたい」にあったのではないでしょうか。つまり、これに応える組織は、儲かるからヤルのではなく、「やりたい」からヤルに則った事業を展開します。だから、あまり儲からなくても継続されるし、バカ売れしたからといって無計画な増産投資もしなくて済むのでしょう。

「北極星だけ見ていても、北斗七星は見つからない」とは、まさにその通りだと思います。何かに抗うことは、前に進むためのパワーにはなるとは思いますが、それが目的化する必要はないのではないでしょうか。「代わりはいるけど、敵じゃない」と思えれば、かつての蓮舫議員の「No1じゃないといけないんですか?」の言葉にも、違った重さが感じられます。その意味で、『テレビ報道記者〜ニュースをつないだ女たち』の真野二葉の言葉は心に沁みます。

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岡島克佳
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