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“正解”の果てに憂えない組織開発
サッカーのPKは、蹴る側にとっては入れて当たり前、そしてキーパーは、防げばヒーローということになります。しかし、その魅力は、入ったか抑えたかではなく、どうなるのかというドキドキ感にあるのでしょう。
確かに、それを観ていた者が、後年に思い出すのは、それが入ったかどうかという結果でしょう。しかし、ピッチに立った選手は、その結果よりも、蹴る前の自身の心情ではないでしょうか。
もし、選手自身も、その結果に執着していたり、ましてや試合後の状況が真っ先に想起されたりするようであれば、その選手は、環境に恵まれなかったと言う外ないように思われます。
忘れて間違えることこそ“善”
忘れるという現象は、脳内で形成された不要なシナプスを消去することで生まれるそうです。
例えば、体を使った技術を習得するときは、始めのうちは多くの失敗を経験します。しかし、その行為のすべてが失敗だったわけではなく、一部は、正しい動きを成しています。
このとき、間違いを忘れ、正しい動きのみを記憶していくことによって、やがてはその技術を習得することができるようになります。これが、いわゆる”体で覚える”と言うことです。
一方、思い違いは、脳内でその出来事が再生されたるとき、事実と異なる回路で思い出されることで、異なった事実が記憶として強化されるために起こるのだそうです。
とくに情動を含むような記憶は、それに左右されることがあります。例えば、好意を持っている相手の思い出を想起する場合、その相手が自分にみせたことのある優しい笑顔を、その時にも見せていたと誤認識するようなことは、しばしば起こる現象です。
このように“記憶”とは、アルバムに貼られた写真のように、そのすべてが形づくられているのではなく、そのときに形成したシナプスの連鎖の再構成だということです。
したがって、シナプスが繋ぐべき事実が、常に正しい“事実”であれば、技術は容易に習得できるし、思い違いを起こすようなことはなくなるということになります。
曖昧だからこそ生き延びる
にもかかわらず、人間は、なかなか正解だけを選択することができません。なぜなら、シナプスの連鎖を再構成する際、「何となく、こんな感じ」と言った程度の曖昧さしかないからです。
例えば、練習が不十分でも、試合は待ってくれません。あるいは、相手のちょっとした仕種に変化を感じたりすることで、恋が成就したりします。
データが揃わなくても、それに対峙しなければならないという場面は、多く存在します。
また、正解だけに縛られていたら、多様な周囲の変化に対応することができないでしょう。
例えば、高校生の時に一流だった選手が、その後に活躍できないケースは、よく見られます。
これには、様々な原因があるでしょうが、1つには、高校生時代に完璧であったがゆえに、その後の成長した自分自身(筋肉の増量など)との間にギャップを生んだり、周囲のレベルの変化に対応できなかったり(130km/hのボールには完璧に対応できても、150km/hのボールには対応できなかったり)した結果であるかもしれません。
曖昧であるからこそ、変化に柔軟に対応できる余白が生まれるということは、経験上も理解できることではなきでしょうか。
“正解”だけを求めるということは、全く同じ事象が再び起これば、最も素早く、そして完璧に対応することができるようになります。しかし、ビジネスの場合、全く同じ事象が再び起こることは、限りなくゼロと言えるでしょう。
求めるからこそ人間らしい
それでも人は、正解の確率を高めようとします。
数理モデルにより手元にあるデータを膨らませたり、ディープラーニングで可能性の幅を疑似的に造ったりすることで、将来の予知に勤しむわけです。
確かに、技術は数理モデルと親和性が高いでしょう。したがってスポーツの世界では、勝つことだけのために、データ偏重が加速しています。
しかし、元大リーガーのイチロー氏や松井秀喜氏は、「野球がどんどん、つまらなくなっている」と、現在を憂えています。
また、AI研究者の松尾豊氏は、「人間とはなんだ?」を知りたくてAIを研究しているそうですが、それは、「最も非人間的なもの」を創造することで人間を知ろうとしているようにも感じられます。
すなわち、正解そものが大切なのではなく、正解を求めるプロセスこそが大切であり、それが真に人間らしいと言うことではないでしょうか。
人間が“正解”の確率を高めようと、あくなき挑戦を続けるのも、その挑戦こそが人間らしいからであるように思われます。
翻って、人間によって形成されている組織は、まずもって人間的であるべきでしょう。
もし、人間的であることが収益に結びつかないとしたら、そもそもその組織は、存在意義を失っているのかもしれません。
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